『とある科学の超電磁砲』第6話

 もう百万回は繰り返されている疑問なんだろうけれど、なんでOP曲のPVにマギー審司が出てるのでしょう。幻想殺しってことなのだろうか。なんかダダイズムの匂いがしますな。まあダダイズムなんて卒論の時にちょろんと齧ったことがあるくらいなんだけど。思考は舌の上で作られる、みたいな言葉が印象に残ってます。あと、ダダは何も意味しない、ってやつ。
 さて、『禁書目録』では「相手を否定すること」が基本になっていたわけですが、『超電磁砲』では「相手を肯定すること」が通奏低音として流れているようないないような。まあこのアニメって日常寄りなのさといえばそれまでなんですが。その中心になってくるのが上条当麻と同じくレベル0である佐天涙子じゃないのかなー、と。自分を否定してるっぽい彼女が、周囲にどう肯定されていくのでしょう。
 そうそう。このアニメ、大雑把なところではいまおれたちが暮らしてる社会と同じように見えて、細かいところが違ってるんですね。缶のバーコードがアミダ型になってたり、シャワーの個室の壁に端末があったり。正しく青春SFって感じがします。嘘です。正当性なんて感じません。ただひたすらにいい感じだなと思います。