ストーリーライト4月10日版

お題を決め、1時間の時間制限の中で掌編をでっちあげるこの企画。
今回のお題は

自転車通学

でした。できたもんをそのまま掲載してあります。誤字脱字はご愛嬌。


正田:1,858字

 私がこの自転車に乗りはじめてもうすぐ2年になる。チェーンが緩んできてたまに変な音がするようになった。そろそろ直さないといけないなと思いつつ、面倒くさかったので放置していた。女の子にチェーンなんか直させないでほしい、という言い訳を自転車にしてみた。
 毎朝、家から駅まで15分自転車をこいで、それから電車に20分揺られて学校まで通っている。けっこうな距離だ。親に塾通わされてある程度いい成績だったから街の中の学校へ入学できた。最近は親のことがうざくてしゃべらなくなった。家の中で私が親に対して発する言葉は「うん」「違う」「いや」「めんどい」などなど、どんなに長くてもひらがな4文字以内だと思う。何が何して何だみたいな文章をしゃべるのは1週間に1度くらいしかないような気がする。我ながらだめな娘になった。
 母親ときたら朝っぱらから昨日録画した韓国ドラマを観ていて、テレビが発する韓国語を背中で聞きながら朝ごはんを食べた。これがほぼ毎日なのだからたまったものではない。おかずはスーパーの惣菜で、母が惣菜のラップをはずさずに食卓に出してきて、父がそれに怒るのだが、母は「それくらい自分で取ってよ」と言い、父は黙り、私は心の中で(それくらい取れよ)と父に向かって思った。内心ため息をつきつつ家を出て、緩んだチェーンを気にしつつ、家族のくだらないやりとりを思い出しつつ、駅を目指した。明日あさっては土日だから、友達とどこか行きたいな、何か誘ってくれないかな、なんてことも思った。
ここは田舎だから、自宅から駅のある小さな町までは田園地帯が続いている。毎日風があるからつらい。学校の先生が「俺らの県は風が強くて、県外から来る人が皆愚痴をこぼすんだ」と言っていた。きっとそうなのだろう。今日もつらい。
途中で別の町から駅のある町まで続く道路に出る。すると、何人か自転車に乗って駅へ向かう人たちと出会う。あいさつはしない。お互いに全然知らないから。でも、乗る電車は同じだった。30分に1本しか来ない電車だから、乗り遅れたら遅刻する。この人たちもきっとそうだ。中にはスーツも人もいる。大人はみんな車に乗っているのに珍しい。あとで知った話だけど、銀行員は少しでもリスクを減らすために通勤で車を使わないそうだ。あの人も銀行員なのだろうか。
私はこの道路に来たらいつもこうして自転車に乗る人たちを見てしまっている。一人だけとてもかっこいい人がいるからだ。あっちのおっさんなんか風で髪がぱたぱたとはためているけれど、私の好きなかっこいい人は髪は短くて乱れない。風を嫌っているのか目を細めて自転車をこぐ姿が本当にかっこいい。いつも私服だから会社員ではないだろうし、見た目も若いからきっと大学生じゃないかなと予想している。
最近になって私は狙っていることがあった。それは、自転車のチェーンがはずれてくれることだ。そして、あの人に直してもらうのだ。本当は、あいさつをしたい。でも、私は人見知りで奥手だからそんなのは無理だ。
とにかくチェーンがはずれて直してもらえるように、私は必ず彼の前を走るようにしている。はずれたら声を出す。すぐに停めて、はずれて困ったなあをアピールする。彼が止まってくれて、心配してくれて直してあげるよと言ってくれて、名前を聞いてくれたり私も御礼をしたり、いろいろと想像が膨らんだ。
チェーンが緩くなったのが気になりはじめて10日ほど、まだはずれたことがない。はずれてくれるようにペダルを急に速くこいでみたり、無茶をやってみるけれど、まだはずれなかった。今朝もだめだった。
土日は家でごろごろした。月曜、またうんざりするような授業が始まる。カバンに教科書をつめていると、ドアをノックする音がした。ノックする前の足音はきっと父だ。ドアが開いて、やっぱり父だった。娘は不機嫌ですよをアピールするため声を低くして「何?」と言った。
「昨日、自転車借りたぞ。チェーンはずれてなあ。直したから」
「……うん」
 ということは計画が台無しになるのか。なんてことをしてくれたのだろう。持ったら重そうなカバンを見つめて、これからどうしようか考えた。そうだ、こうなったら勇気を出そう。たまには、私だってやることはやるんだ。これはこれできっといいきっかけになるはずだ。
友達に、毎日顔を見るけど知らない男の人にはどうやって声をかけたらいいだろう、と相談してみることにした。その相談で、なんだか新しい時代が到来するくらい私は変われるような気がした。


浅羽:1,394痔

 神之木の空に長らくわだかまっていた雲は、すべて雨に変わった。
 久しぶりに顔をのぞかせた太陽が、わずかばかり残っていた春の気配を五月と一緒にお払い箱にしてしまうと、空気には夏が匂いはじめた。
 風景は鮮やかな色彩と確かな輪郭を取りもどし、盆地の底に位置する人口四万六千の田舎町は、酷暑に喘ぎはじめるまでのわずかのあいだだけ、過ごしやすい時期を迎えた。
 高々と氾がる青空。白い腹を見せて遊弋する雲。水田では、まだ背丈の低い苗の緑が、涼やかな風に吹かれて揺れていた。いくら無感動なぼくだって、本当なら、自転車を降りて空を仰ぎ、二度とはやってこない高校二年生のこの季節を噛みしめていたに違いない。
 しかし、実際のところは、荷台に、久世湊を乗せ、必死にペダルを漕いでいた。湊――ぼくの隣の家に住む幼馴染の右足の脛には、白い包帯がぐるぐると巻いてあった。体育の授業中、大はしゃぎしたあげくに、派手に転んで、擦りむいてしまったのだそうだ。
「誤解がないように言っておくけどな」ぼくは、背中にしがみつくようにしている湊に聞こえるように、少し声を張って言った。「送迎するのはこれっきりだぞ。ぼくはお前の専属運転手でも運送会社の人間でもないんだからな」
「えー」不満げな声。「これからも毎日送り迎えしてくれるなら、おっぱい今以上にぐいぐい押しつけてあげるんだけどな」
「生憎だが、お前のEカップとぼくの送り迎えじゃ値段が違いすぎるよ。こっちの財布に返す釣り銭がない。言っただろ、先月バイト先が倒産したって。今じゃ、エロ本を買う時だって、中身じゃなく値段で決めてるような有様だ」
「だからこそ、ほれほれほれ」ぼくの体にまわされた湊の腕にくいと力がこめられる。汗で湿ったワイシャツ越しに伝わってくるぬくもり。柔らかな感触。弾力。「このEカップは無料サービスだよん。足が治るまで送り迎えしてくれるなら、それが毎日行き帰り二回楽しめるんだよん」
「足が治るまでって、そもそも、そんなにひどい怪我じゃないだろうが。昼休みに購買で人ごみかき分けて焼きそばパン買ってたの、こっちはしっかり見てるんだからな」
「あー」湊は言った。「それはあれだよ。脛の擦りむけによる痛みっていうのは、ウンチみたいなものでね、我慢してると、波が引くことがあるわけだよ」
「大した学説だな。今度学会にでも出席して発表しろ」
 首筋から落ちた汗の滴が背中を流れる。ぼくは歯を食いしばり、ハンドルを握り直し、ペダルを漕ぐ足にいっそう力をこめていった。正直、そうでもしないと、自分の背中に感じている、この、柔らかくていい匂いのする可愛い生き物に対する平静さを完全に欠いてしまいそうだった。パンツの中におっ勃っている紫色のヘルメットを被った兵隊は、すでに青筋をたてて最敬礼をしており、少しでも気を緩めようものなら、御得意の白いゲロを吐き散らしてしまいそうだった。
「それで、どうかな、明日から送り迎えしてくれないかな?」
「でも、タダより怖いものはないって言うからな」
「それ、饅頭怖い的なアレ? おっぱい怖い的な?」
「ああ。ぼくは幼馴染のおっぱいが怖いよ」
 ぼくたちはそれから、小型の耕運機を荷台に乗せた軽トラックとすれ違った。土と錆の匂い――田舎の、夏の匂いだ。ぼくは、それを肺いっぱいに吸い込み、自転車を飛ばした。
「ねえ!」湊がぼくに言った。
「何だ!?」
「私ね、冷たいコーラが怖い!」