『相馬の仇討:江湖版』後編 楊生みくず

【真・相馬の仇討ち――裏】

 それまで、荘主と呼ばれながら、仇を討つまでは――と、実質的に木家荘を継ぐことを先延ばしにしてきた木清であるが、その仇を討ち、とみに高くなった江湖での声望に応える意味をもかねて、天下の英雄を招いた宴のひとつでも設けようかということになったのは、それから半年後のことである。もちろん、その席であらためて「荘主」として群雄に挨拶をするのだ。
 参加を表明した好漢たちが続々と木家荘へ集まってくるのへ挨拶を返し、もてなす木清の顔は、しかし憂いに沈んでいた。癸雎や弥小五は別として、最も感謝の念を抱いていた蜀子軽が、木家荘に向かう途中で何者かに殺されたためもある。しかも、木家荘荘主の地位は継いだといっても、木家刀法の真髄は依然木清のものではない。『木家刀譜』のありかは木衛の死後も杳として知れなかった。
 夜になって、木清は気の晴れぬまま床につく心にもなれず、刀を携えて自室の前の庭へ出た。飄々と刀を舞わせ、演じだしたのは木家刀法――しかも、あの日木清が幾度となく繰りかえした、あの順序にしたがっている。
「真君招雲」から「正邪回頭」、「九霄直下」を経て「人海茫茫」、さらに「在陌見賢」につなぐ。……そこで、手をとめ、眉をしかめた。どうも、一手ごとのつながりが悪い。対戦していたときには、木衛の動きがそうぎくしゃくしているようには思わなかったのだが。首をひねりつつ、木清はやや刀の速度を落とし、力も込めずに、型のみ続きをやってみることにしたが、「穆然有風」――「家山望月」――「壮士不帰」――「里仁為美」、いずれの繋がりも、不可能ではないが不自然な動きにならざるを得ない。釈然とせぬままに、「秘名蔵身」「普及刀威」「在野望天」と、ひととおりの動きを続けたが、これも同じことである。最後の三手、「河水不尽」「之字路難」「洲汀落鴻」にいたっては、考える気もうせた。
 嘆息して、木清は刀を投げだし、かといって部屋へ戻る気にもなれずに、その前の階段に腰を下ろした。と、そこへ、
「荘主」
 驚いたような声をかけた者がいる。目を遣ると、庭の端をつっきって木清の部屋につづく渡り廊下に、弥小五が突っ立っている。
「五当家、何事かあったのか?」
「いえ、急ぎの用ではありませんので、おやすみになるのでしたら明朝でもかまいません」
「しばらく、眠れそうもないのだ」
「お疲れではない?」
「そういうわけではないが――五当家」
「はい」
「たしかに、わたしは木衛を討った、荘主の座を継いだ。しかし、『木家刀譜』の行方は未だに知れぬ。木家刀法の真髄をかけらも知らぬわたしが群雄に荘主と呼ばれることが、おのれでも釈然とせぬのだ」
「それで、木衛の演じた型をさらっておいでだったのですね」
 木清は頷いた。
「なにか、お分かりになりましたか」
 と、こちらの問いには首をふる。そこで、突然、弥小五が顔色を改めた。
「実は、夜中にこちらに参ったのは、――その件について、蜀どのからの書状が届いたゆえなのです」
「蜀――蜀子軽?」
 思わず呼び捨てにして、木清。
「まさしく。しかも、内容が実に容易ならぬ……さきほど、荘主が演じられた木衛の十五手、あれが『木家刀譜』と関係していると……詳細は、直にあってお話ししよう、と……」
「だが、蜀どのは殺された――まさか、その書状に書かれたことが関係しているのか?」
 武林のなかには、武芸そのものに取り憑かれた人間というのもときに存在するもので、そういう連中にとっては、武芸の秘伝書の類はなにものにも変えがたい宝である。それを手に入れるためにはどのような手段をとってもおかしくはないから、それにからめば、人死にの一人ふたり、出たところで何の不思議もなかった。
「そうかもしれません。とにかく、事情が事情、人目のあるところでのお話は避けたかったので、このような時刻にお邪魔したのですが」
「大当家には?」
「まだ、伝えておりません」
 と、弥小五はうつむいた。
「実は、書状も……わたくし一人に宛てられたものだったのです。とくに他言を禁ずる旨は書かれておりませんでしたが、宛名が荘主でもない、大当家たる癸兄でもないのは不思議です」
「日付は?」
「殺される前日です」
 もちろん、殺されると知って書いたものではなかろう。だが、書状と本人と、どちらが先に木家荘につくやら分からないと承知で書いたことは間違いない。一刻もはやく、その内容を伝える必要を感じたからこそである。
「もしや、此度の英雄宴と関わりがあるのでは?」
「それは……集った者たちの中に、『木家刀譜』の消失に関わった者があり、蜀どのはそれを告発せんとした、ということですか?……だから、殺された、と?」
 木清は頷いて、
「わたしや大当家に書状を宛てなかったのは、皆の面前に出ることが多いから、万一にもそういった場で書状が開けられては、と懸念されたためだろう」
「たしかに、そうなれば刀譜の行方を真に知っている者がいようがいまいが、大変な騒ぎになることは間違いありますまい。下手をすれば刃傷沙汰――蜀どのの周到なお考えには、まったく恐れ入ります」
「だが、殺された――」
 冥福を祈るかのように木清はしばし目を閉じて、沈黙する。そして、
「殺されたからには、蜀どのが直接伝えんとしていたことを確かめようがないということだ」
「たしかに、蜀どのと語ることはできませんが……」
 弥小五はそこで言葉を切り、ちらりと木清の顔色をうかがった。木清が、うながすように頷いた。どこか、つづく言葉を予測しているようでもある。
「蜀どのが、あのとき木衛の使った十五手からなにやら気付かれたのであるならば、同じ推測をできないものとも限りません」
 はたして、弥小五がいったのに、木清は会心の笑みをみせた。
「よくいった。わたしも、そう思う。蜀どののお心遣いに報いるためにも、なるべく早く秘密を調べよう」
「では、大当家を呼んで参ります」
「頼む」
 弥小五が、走り去った。
 さきほど放り出した刀を拾って、ふたたび庭にただひとり、木清は刀法を演じだした。弥小五との会話があったから、今度は木衛の動きを思い出しつつ、それになるべく忠実に、慎重に一手ずつをこなしていく。十五手すべてが終わったら、また頭からやり直す。……なるほど、木衛のやったとおりの動きを意識すれば、すべての手は滑らかにつながった。一手一手を完璧に型通りにするのではなく、わずかにくずしたり、途中で次の手に移ったり、あるいは間に独自の動きをくわえればよかったようだ。
 しかし――と、木清は三巡目にかかる前に思いあたって、凝然と立ちつくした。
 ――この十五手を一連の流れになして、いくら自在に振るうことがかなったとて、それが木衛にどう役にたったというのか? 固執したあげくにかえっておのが首をしめただけではないか。
「真君招雲、正邪回頭、九霄直下……」
 気づけば、また階段の隅に腰をおろして、ぶつぶつ呟いていた。のみならず、刀のかわりにそばに落ちていた木の枝をとりあげて、地に文字を刻んでいた。一行四字、十五行。十五手のすべてを、文字にしおえたとき、木清の脳裏にふいに十年まえの記憶が蘇った。

 まさに、この庭であった。母がいて、癸雎がいた。というより、癸雎が父と木衛をこの庭に案内してきたのだ。何用であったか、父はすぐにどこかへ去った。木清は、たいして寂しさも覚えなかった。どちらかといえば、いつも遊んでくれる癸雎や木衛が来てくれた嬉しさが勝っていたのだ。
 もっとも、木衛は遊び相手ばかりでなく、学問の師の代わりとなっているところもあった。もちろん、科挙を受けようというのではないから、そう難しいことはやらない。経典のなかでもよく知られた句を諳んじたり、簡単な文字の読み書きくらいなものである。
「この前教えた詩経を、憶えているか?」
 と、木衛が問うた。木清が難しい顔で考え込むと、
「関関雎鳩(関関たる雎鳩《しょきゅう》は)……」
 句の最初を聞かせて、助け舟をだす。それでようやく、木清も思い出した。
「在河之洲(河の洲に在り)!」
「好し!」
 木衛は褒めた。そして、すこし難しいかもしれないが、とつけ加えたのである。
「雎鳩の雎は、ここにいる癸雎の雎だ」

 木清の眼前には、たった今書いた十五行の文字があった。右から左に、きれいに一手の四字ずつが並んでいる。
真君招雲
正邪回頭
九霄直下
人海茫茫
在陌見賢
穆然有風
家山望月
壮士不帰
里仁為美
秘名蔵身
普及刀威
在野望天
河水不尽
之字路難
洲汀落鴻
 追憶を誘ったのは、最後の四行であることが、すぐにわかった。頭の一字だけを読めば、「在河之洲」となるように見事に並んでいたせいだ。
 偶然だろうと思いながらも、木清の目はつい、その前の文字へ向いた。「秘」「普」――「雎鳩」ではない。が、「秘普」の「普」は「譜」と同音である。「秘譜は河の洲に在り」……まさかと思いつつ、木清の眼は先に動いて、すべての行の頭だけを読んでいる。
「真正九人在穆家壮里秘普在河之洲――」
 何度かつぶやいて、ぎくりとした。
「真正仇人在木家荘裡 秘譜在河之洲(真正の仇人は木家荘の裡に在り 秘譜は河の洲に在り)――」
 木家荘の中にこそ、まことの仇敵がいる。秘譜は河の洲にある。
「秘譜」が『木家刀譜』を示すのは、木家荘の者にとっては当然の思考として、「河の洲に在り」とはどういうことか? 考えながら、ついさっきまで動いていたはずなのに、木清の全身は急に冷えてきたようであった。
 ……河の洲、そこには雎鳩がいる。雎鳩の雎は癸雎の雎だ。
 木清の頭に、この十五字を託したのが木衛であることは、このとき大きな問題としてうかばなかった。木衛に関しては、それよりも、たしかにその武芸は圧倒的というほどのことはなかった! ということ、そして、『木家刀譜』が木衛ならぬ者の手にあるならば、それも頷ける、ということを思っている。
 だが、まさか、癸雎が。
 木清の胸中に、いやな予感が兆した。思考は、冷静である。まさか、そうであってほしくない――という気持ちとは別に、癸雎が「真正仇人」であることを裏付ける事実はこれまでなかったはずだと、慎重に記憶をたどっている。
しかしさらに別の問題として――癸雎を呼びに行った弥小五の帰りが、あまりに遅くはないか。
木清は起った。刀をつかんだ。鞘に収めるのももどかしく、抜き身のままにひっさげて、急ぐさきは癸雎の私室である。つくなり、呼ばわった。
「五当家!」
 返事はない。
「大当家――癸雎――」
 部屋の主の返答もなかった。人のいる気配そのものがない。が、
「入るぞ」
 断りというより己のための気合のようにいって、木清は入口の格子扉をおしあけた。無礼を百も承知で、真に何もないことを確かめたかったのだ。
 しかし、室内の惨状は木清の希望をうらぎった。部屋の中央、床の上に、どす黒い染みがひろがっている。しかも、右手側の壁には一振りの刀が突き立って、その柄を、肘から先のみとなった人の腕が握りしめて、ゆれていた。断たれてはいるものの、血に濡れてその腕に纏わりついた布地には見覚えがあった。まさしく、弥小五の着ていた服と同じものだ。
 床の血だまりに眼をもどせば、そこから血痕が細く続いて窓へとのびている。窓は開きっぱなしで、桟の下部にも血の滴った痕があった。そちらへ駆け寄りかけて、木清はあやうく踏みとどまった。窓から飛び出せば、死角があまりに多い。弥小五を害した何者かの存在が明らかないま、なによりも慎重であらねばならなかった。
 木清はそろそろと部屋の入口に後退し、用心しつつ外へ出て、壁をつたって窓のほうへ廻りこんだ。待ち伏せはなかったようだ。だが、かわりにまた新たな血だまりがひとつ、石畳にひろがって、さらに何かを曳いたような筋がそこから奥の庭――いまは誰も使っていないが、かつて木清の母が使っていた部屋へ通じる庭へとつづいていた。
 あまりのことに、心臓が早鐘の如くうつ。気息がみだれて、額を冷汗がつたった。混乱のあまり、思考の力を失ったかのような頭に反して、身体は石畳のうえの赤い筋にひかれるかのように動いて、木清は奥庭へと踏み込んでいる。使う者とてない部屋へ続く小径とはいえ、年に数度は手がはいっているから、歩いていくのに不自由はなかった。かすかな水の音は、庭にしつらえられた池のものだ。
 が、このとき、突然どぼんと大きな音が響いた。水の音は水の音でも、明らかに重いものを投げ入れた音だ。しかも、それは血の筋ののびていった方角から聞こえた。
 覚えず、木清の足はそちらへ速まった。岩陰を廻りこんだところで血の筋はとぎれ、池の傍の楊柳の下で、ひとりの人物が水面の波紋を見つめていた。
「荘主」
 と、振り向きもせぬままに、そいつが声をかける。
「やはり、来られましたな。……来てくださらぬよう念じていたのですが、惜しいかな、そうはいかなかったようです」
 その声も、木清から見える横顔も、まさに大当家・癸雎である。
「大当家、なぜ、このようなところに?」
 つとめて平静をよそおって、木清は訊いた。
「五当家が、そなたを呼びに来たはず。今、どこにいる?」
 癸雎は黙って池をのぞきこんでいる。
「今どこに――といえば、『木家刀譜』もだ。木衛は持っていなかったようだ。さもなくば、こちらが三人がかりであったとはいえ、ああむざと討たれはしなかったろう……とは、以前にも話したことがあるが」
「…………」
「あるいは五当家からすでに聞いたかもしれぬが――殺された蜀どのから、書状がとどいた。刀譜の行方について、手がかりはあのとき木衛の使った十五手にある、と」
 ようやく、癸雎が振り向いた。
「あの御仁は、余計なことに首を突っ込みすぎます」
「わたしにとっては、余計どころか、是非とも直接お話を伺いたかったところだ」
「今は――?」
 首をかしげ、池よりも黒々と深く沈んだ瞳で、癸雎は木清を見た。さぐるように、
「いまもまだ、蜀どのに訊かねばわかりませんか」
 一息おいて、木清は首をふった。
「……まことの仇は木家荘の中にいる。秘譜は河の洲にある。大当家の名は『雎』の一字――『関関たる雎鳩は河の洲に在り』の『雎』だ。大当家の居所に秘譜がある、とはまことか?」
「正確には、まこととは言い難いでしょう」
 と、癸雎は答えた。はっきりとした否定ではない。むしろ、「不正確な部分はあるが、外れてはいない」という返答に近い。ただ、内容をいえば恐ろしい裏切りに違いないのに、その顔は平静そのものであり、口ぶりにも興奮した様子はないのが不気味であった。
「秘譜――すなわち『木家刀譜』は、もはやこの世に存在しません。十二年前……いや、いまとなってはほとんど十三年前のあのとき、たしかに手に入れたのはわたしでした。が、内容を覚えて、刀譜そのものはとうに焼き捨てています」
「でたらめを!」
 激昂した木清が斬りかかる。風をまいて迫る白刃を、癸雎は冷ややかに見つめていたが、まさに刀刃が額に触れようとした刹那、ついと右手を挙げた。すると、なんたることか――次の一瞬には木清の刀は手を離れて宙を飛び、癸雎の右手は手刀の形で木清の頚にあてられていた。
「これで、信じますか? わたしはでたらめを言ったわけではない」
 癸雎に、殺意はないらしい。そうと悟って、木清は数呼吸ののち自失からさめた。それから考えてみると、癸雎のいまの技は、掌で刀の平を擦りざまに内勁(ないけい/気の力)を発して狙いを狂わせたうえ、こちらの手から弾きとばしたのだ。そして、勢いはそのまま、こちらの首に迫ったのである。刀を使ってこそいないが、たしかに木清も知る木家刀法の動きと共通するところがあった。しかもどの手よりも苛烈で迅速だ。
「いまのが、『木家刀譜』の手か」
「そのとおりです」
「それは、わかった――が、刀譜を焼き捨てたなどということは……」
 木清の首から、手刀がはなれた。癸雎は、苦笑とも嘲笑ともつかぬ笑いをうかべている。
「それも、嘘偽りのないことです」
「どうして」
「刀譜そのものが憎かったからです。木家刀法も、憎い。木家荘そのものが憎い。――荘主、いや、木清と呼ばせてもらおう。まだ気付かぬのか。木衛の十五手の前半の句の意味に!」
 このとき、癸雎の顔は、癸雎のものでありながら木清の知らぬものへと変貌をとげた。すなわち、木家荘に忠義をつくす大当家ではなく、木家荘を天来の仇として全霊かけて憎む仇の顔に。
 木清は、総身の血も凍るようにおぼえて、叫んでいる。
「大当家……いや、癸雎、では『まことの仇』とはおまえなのか。おまえが仇とは、どういうことなのだ?」
 癸雎はまた、奇妙な笑みをうかべた。苦笑か、嘲笑か――このときは、わずかばかり憐憫もまじっているようにも見えた。
「知らぬのも、無理はない」
 溜息のようにいった。
「すべては木軍のために生じた怨恨だ」
「父上を罵るな!」
「罵りはしない。それどころか、あの人は世にまれな大英雄だ」
「ではなぜ木家荘を憎むのだ、父上が護り伝えようとした刀譜を失わせて平気なのだ?」
「木軍は一代で木家荘を江湖でおしもされぬ大勢力に成しあげた。大事を為すのは、大英雄なればこそ。勢力を広げるためには闘争がつきものとはいえ、木軍の卓越した武力と人望のおかげで、ほとんど常に犠牲は最少、しかも、木家荘に呑まれた幇会の者をあの人は実に丁重にあつかった――傘下にはいって数年もすれば、恨みなど忘れるほどに。ただ、忘れようにも忘れられぬ者も、まったくいなかったわけではない」
「それが、おまえだと?」
 癸雎は、うなづいた。木清は、重ねて問うた。
「おまえは、誰だ」
「もう二十五年も昔のことだが――あの人は、武漢の凌風堂(りょうふうどう)を滅ぼした。計算してみれば、まだ二十二であったころだから、手加減も後年のようにうまくはなかったのだろうな。木家荘の関係した抗争で、死人が一番多かった。とりわけ、堂主(頭)であった江飛鶴(こう・ひかく)の一族は激しく抵抗して、全滅の憂き目にあった。ただ、養女として外に預けられていた十一歳の娘と、妓女にひそかに生ませて、折をみて引き取ろうと考えてはいたものの、とうとうきっかけもないままになった四歳の息子をのぞいて」
「四歳の息子……」
 つぶやいて、木清ははっとする。眼の前の癸雎は二十九、二十五年前の年齢が、ぴたりとあう。
「俺の本当の姓は江だ。認められぬまま死に別れたが、江飛鶴の息子――中雎(ちゅうしょ)という」
「江中雎」
 と、木清は呼んだ。
「おまえが、江飛鶴の息子としよう。凌風堂の江家の皆殺しから、運良く逃れたものとしよう。だが、そこからどうして木家荘の一員になったのだ――しかも、何年も父上の側近くにいて、恨みをはらすのに刀譜を奪って満足する心がわからぬ」
「父が殺されたという報をもたらしたのは、木家荘に表向きだけしたがった程老三(てい・ろうさん)だった」
 木清の問いに答えるつもりがあるのかどうか、どうにも読み取りがたい風情で、江中雎は語る。
「程老三は、凌風堂ではそう高い地位にいたわけではない。だが、かつて父にうけた恩があって、忠義の心だけは人一倍だった。もしかすると、父の顔も憶えておらぬ俺などよりも、木軍を恨む心は強かったかもしれぬ。が、一見して小者としか思われなかったために、木家荘に服従したのは当然とみられ、あとあと警戒もされなかったのだ。それを好機とみて、程老三は、ひそかに姉と俺との素性をいつわってひきとり、日夜木家荘への恨みをふきこんで育てていた――」
「…………」
「程老三は、仇が討てさえすれば手段は選ぶまいと考えていた。それに、姉も俺も、武芸など習っていなかったから、身をやつして木軍に近づき、不意をおそうしか、仇を討つ法はない。……四年ばかりたって、まず姉が木軍に近づくのに成功した。無頼の輩にからまれていると装って、木軍にたすけられ、それをきっかけにして――二年ほどたって、木軍は姉を娶った」
 木清の眼がむきだされた。
「でたらめだ! おまえはともかく……は、母上が……」
 口に出せたのはそこまでで、あとは激昂のあまり喉がつかえて声が出ない。江中雎は淡々と続けた。
「姉が木軍のものとなったのとほとんど同時に、俺も木軍に近づいた。程老三は目立たぬようにしながらも、木家荘への忠義を示せる機会を見逃さなかったから、その程老三の親戚で、紹介をうけたのだということにすれば、木家荘に入るのはそう難しくはなかった。しかも、本来なら新入りがそうそう木軍の側近にとりたてられるはずもないが――」
 江中雎はわずかにそこで言いよどみ、木清が蒼ざめた顔で睨んでいるのに気付くと、開き直ったように笑い出した。
「いまさら、隠してもどうにもならない。死人に鞭打つつもりなど毛頭ないとだけは断っておくが……おまえの父の趣味の話だ」
「趣味?」
「木軍が姉を娶って――姉が木衛と逃げるまでの数年間、木軍が姉の寝室に入ったのはただ一度――新婚初夜だけだった。しかも、ほかに女がいるわけでもない。そもそも必要なかったからだ。あの人は、女と同衾するのがあまり好きではなかったから」
「何の話をしたいのだ?」
「俺の姉が、木軍に近づくことに成功したようで実はまったく成功していなかったという話――あるいは、あの人の寝物語を聞けたのは、女よりも男、それも若い男だったという話だ」
 木清はぽかんとしている。江中雎は薄笑い、それも自嘲のまじった笑みをそちらへ投げて、
「子どもだな。ここまでいっても、まだ分からぬのか。まあ、分からずともかまうまい」
 溜息をついた。
「が、考えてみればいま子どもといったおまえより、当時の俺は幼かったのだな。あるいはそれゆえに、あの人は俺を傍に置いたのかもしれない――ただ、顔かたちのゆえではなく。男と生まれながら未だ一個の男ではなく、女として扱われて抗わぬといっても女ではない、それゆえに」
 このとき、ようやく木清の顔色が変わった。うすうすながら、木軍と江中雎の秘められた、特殊な関係が読みとれてきたのであるらしい。江中雎はかまわず、
「もちろん、俺のほうから望んだ関係ではない。昼のあの人には、仇にもかかわらず日ごとに敬慕の念が強まるのを覚えたが、夜ごとにつのる憎悪と殺意は――おさえようとすると吐き気がするほどだった。だが、夜にはあの人は隙だらけだったから、殺すまいと思えば耐えるしかなかった。殺すわけにはいかなかった、木家荘の名さえも後世に遺すまいとすれば、『木家刀譜』もまた滅ぼすべきで、『木家刀譜』の在り処を知るのは木軍ただ一人なのだから」
「……妙なことをいう」
 うめくように、木清。
「わたしの記憶にあるかぎり――わたしがずっと幼い頃から、おまえは常に父の傍にあった。夜の……関係とやらのことについてはともかく、父上はおまえを信頼していた。すくなくとも、木衛よりは。いくら慎重を期したにしても、時がかかりすぎている」
「鋭いな。もっとも、俺と木軍が親密な関係になったのは、初対面のその日だった。それから徐々に、俺を昼間も傍において、荘の仕事にも携わらせるようにしていった――その意味では、実際はおまえが思うより奇妙には違いない。他人の眼にそうと映るよりずっと早く、俺とあの人とは親密な関係になっていたのだから、なおさら、刀譜の在り処などを聞き出すのに手間はかからぬはずだ」
「なぜ、そこまで時をかけたのだ」
 木清の問いは、純粋な疑問であった。江中雎は微笑した。
「秘密をさぐるのに、時はかからなかった。いま話したのは嘘だ」
 耳を疑うような返答である。
「俺が木家荘に入って一年もせぬうちに、『木家刀譜』の在り処はわかっていたのだ――実際に目にする機会さえもあった。だから、さっき話したのはすべて偽り……とまではいわぬ、が、『木家刀譜』については、当時それを建前につかったにすぎない」
「どうして――」
「恨みや憎しみが、敬慕とならびたたぬと決まったものではない。分からずとも、無理はないが」
「分かりたくもない!」
 叩きつけるように木清は叫んだが、江中雎を睨みつける眼のふちが、しだいに赤みを帯びた。うめくように、
「……分かりたくもないが、分かる。わたしも、おまえを同様に思うからだ」
「なるほど。では俺は、礼をいうべきか?」
「その問いには答えない。好きにするがいい!」
「それが許されるならば、しばし話を続けよう。……俺が、刀譜の在り処をさぐることを建前に、いつまでも木軍に手を下しかねていたのは、ひとえに、敬慕がわずかに恨みにまさっていたためだ。だが、やがて姉が焦れだした。夜ごとの秘密に気付いたわけではないだろう。それより、俺が荘のなかでそれなりの仕事を与えられ、重用されるようになったがゆえに、地位や名誉に目が眩んで恨みを忘れたのではないかと疑ったのだ。まさにそれゆえに、姉は木衛を誘惑した」
「母上が――母上から、木衛を……?」
「姉の考えは、俺にはよく分かった。木衛をおのれのいいなりにして、木軍を殺させるように仕向けるつもりだと。はたして、木衛は木軍を殺した。あの夜の計画を、俺は事前に知らなかったから、運が悪ければもろともに襲われていたかもしれない。だが……直前に、俺は寝室から出ていた。去り際に見たところ、あの人は酒を呷っていたが、内功(気功)でごまかさなければ実はそう強い体質じゃないから、すぐに寝入ったところを殺されたんだろう。……物音をきいて、俺はとってかえしたが、すでに手遅れだった」
「当時の調べでは、その物音は木衛が『木家刀譜』を探したためということになっていたな。実際に寝室はひっくり返されていたらしいが、どこまでが本当だ?」
「木衛が刀譜を探し回ったのは、おそらく嘘ではない。姉は木衛に刀譜を盗ませておいて、それをあとから奪い、焼き捨てる、というようなことを考えていたのだろう」
「そのとき、刀譜が実際にあったのはどこだ?」
「木家代々の墳墓の中だ。しかも、一見して壁としか思えない隠し扉を特殊な方法で動かしてはじめて、手に取ることができた」
「なるほど。――木衛は手駒にすぎず、おまえと……母上は、ついに一門の仇を討ったというわけか。そう考えると、母上が木衛に殺されたのは、木衛が母上の正体に気づいたためかもしれないが……」
「俺もそう考えている。おそらく、姉の正体をみやぶって、己が踊らされたあげく仇の手先となって兄を手にかけてしまったことをも悟ったのだろう。十五手の暗号は、せめてもの償いのつもりであったかもしれぬ。あいにくと手遅れであったが」
「手遅れ?」
 木清が愕然と問い返したのに、江中雎は冷笑した。
「それ以外のなにものでもあるまい。たしかにおまえは木衛の伝えたかったことを読み取った。だが、それを知ったからとておまえに何ができる? そもそも、おまえにとって誰が仇なのだ? 木衛の十五手は、あの男が木家荘の人間として遺したものだが、あの男はおまえにとって父母の仇でもある。そしておまえの母は、あくまで江家の女として木軍を殺すのに尽力した。さらには、おまえ自身さえ、江家の血をうけているというのに――」
 江中雎は皮肉に笑っている。
「たしかに、誰を恨むべきか、わたしには分からない」
 木清がうめいた。
「ただし、おまえだけは別だ、江中雎」
「俺は、おまえの仇か」
「木衛を討つために尽力してくれたこと、父の死後も、木家荘をともかくも今までは護ってくれたことには礼をいうが、そのとおりだ。真の仇は、たしかにおまえだ」
「理由は」
「おまえは、たしかに江家の者として木家荘に仇をなそうとしたのだ。直接に手をかけたわけではないが、内部から、徹底的に崩壊させようとしたのだな。叔父に父を殺させ、その叔父をわたしに討たせて、木家荘の血筋同士で相殺させようとし、成功した。しかも、そればかりではない。『木家刀譜』を奪った。おまえはすべてを恨みのためにしたが、違うだろう。さもなくば、刀譜をうばって焼き捨てるのはともかく、自分で技を修練し、身につけるはずがない。刀譜の技でもって、なにか企むところがあるはずだ」
「木軍、前荘主のことは尊敬もしていたといったはずだ。その尊敬の気持ちのためとは、思ってくれぬか」
「気持ちまでは否定せぬ。だが、それにしたところで、おまえは相反する感情を同時に心に抱くことがあるらしいからな。――たとえば、母上の推測が正しいのかもしれぬ。おまえは父上の傍にいるうちに、権力や名声の心地よさに気づいたのではないか? 『木家刀譜』の刀法の唯一の継承者に対しては、わたしは叩頭し、弟子となってでも教えを乞うべきだが、そのわたしは木家荘の荘主で、しかもおまえのおかげで木衛を討ったゆえに江湖でもいささか名が知られるようになった。わたしの目上となるおまえが、尊重されぬはずがない……」
「悪くはないな」
 江中雎は唇をゆがめた。
「おまえは、どう思う?」
「そのような企みを抱く者は、わたしにとっては仇にほかならぬ。父と叔父を殺した元凶というだけでなく、木家荘を道具にし、踏みつけにしてのしあがろうとする心根ゆえに。だからこそ、おまえだけは別だといったのだ。そして――わたしは、仇に弟子入りなどできぬ。よしおまえが『木家刀譜』の技をわたしに伝えるかわり、わたしを殺すのに使おうとも」
「よくいった。さすがは木軍の息子――というところだな。ところで、おまえが自分で述べたいまの筋書きは気にくわぬというなら、また別の筋書きがある。……『木家刀譜』の別の使い方だ」
「『木家刀譜』はおまえのものではない! 我が物顔で使い方など述べるのを、聞きたくなどないわ」
「聞いても損にはならぬ。少なくとも、納得して死ねるからな」
 死、の一語が江中雎の口から出た瞬間、さしもの木清も凍りついた。が、そこで強いて笑声をはなったのは、技といい狡猾さといい、どうあがこうがこの相手からは逃れえまい、ならばせめて見苦しくあわてふためきはすまいと覚悟したためである。
 木清のこの開き直った笑いに、江中雎は不審の念をいだいたらしい。それまでの薄笑いをひっこめて半歩ばかり距離をつめ、目を眇めて相手を見つつ、
「相馬県で木衛を討ったとき、嘯天幇の馬幇主らが尽力してくれた、あれも実に『木家刀譜』の力だ。それは、知っているか?」
「技とひきかえに、木衛の身柄をおさえさせたというわけだな」
「それだけではない、もっと長きにわたっての協力を、嘯天幇は約束してくれた。さっきいった、『別の筋書き』を、俺が実現させるための協力だ」
「『木家刀譜』はそのための道具にすぎないというわけか」
「道具は道具だが、実にすぐれた道具だ。なにせ、それをちらつかせるだけで二十をこえる江湖の組織が俺に協力を申し出てくれたのだから。ただ、あの蜀子軽には困った。江湖からは足を洗ったくせに、妙な勘をはたらかせてきた。さいわい、馬幇主が消してくれたからよかったが、さもなくばせっかくの筋書きを乱されるところであった」
「やはり、蜀どのが殺された元凶もおまえにあり、か。おまえがわたしを殺すつもりなのは分かった。わたしにはおまえに抗う力がないのも承知しているから、その仇を討つとはいわぬが、魂魄となってもおまえは許さぬ――その心を、いよいよかためた」
「これから殺す者に、許してもらおうとは思っておらぬ。……その、殺しの筋書きだが――今回の英雄宴も、そのための設えだ。招いた者は、皆、俺の協力者だ。皆、おまえが英雄宴のさなかに、裏切り者の手にかかって殺されることを知っている。俺が、その裏切り者を殺すことも」
「裏切り者の役割を、弥小五にでもあてるつもりか」
「誰でもよかったが、いまのような状況になってみればそうするのが妥当だろう? そして、おまえが死ねば木家荘の荘主を誰がつぐか、という問題がでてくるが――」
「わたしが木衛を討つときにも後ろ盾となり、さらにわたしの仇も討ったことにするのだから、おまえの名が挙がらぬはずがない。万一、木家荘からはおまえを推す者が出なかったとしても、英雄宴につどった者たちがおまえを推す手はずになっているはずだ。しかも、反対の声があろうとも、それを圧殺できる力を、おまえの協力者たちは持っている。おまえはなりゆきで荘主になったようにみせかけておいて、あとからしっかりその連中の尽力に報いるわけだ。協力をとりつけるのは『木家刀譜』の技と引きかえだったが、今度はそこまでする必要はない。荘主となれば、ほかにもっと手段がある」
 木清の推測に、江中雎が首をふって嘆息した。
「惜しい、実に惜しい――木清、俺は、企みあってのこととはいえ、おまえが生まれてからずっと間近で見てきた。木軍が殺されてからは、身内のようなつきあいだったな。それが聡明に育っていると知って、我が手で殺さねばならぬことが残念でたまらなくなってきた。どうだ、やはり、おまえのいった最初の筋書きでやってみるというのは?」
「妙なことをいう」
 木清は鼻で笑って、
「こちらがどのみち逃れもならぬのを承知で、弄ぶとは悪趣味の極みだ。それが『身内』のやることか? おまえと協力者の間ではとうに話はまとまっているのだろうに、いまさらおまえの気持ちひとつですべてをなかったことにできるはずもないだろう。おまえがおまえの筋書きに沿わなければ、他の者たちから不満がでる。あるいはその不満も、おまえならどうにか言いくるめるかもしれないが、そもそもそのような危ない橋を、おまえがわたるはずがない」
「俺の性格をよく知っている」
「まことの顔は見ていなかったにしろ、生まれてこのかた、ともに暮らしていたからだろう」
「だが、おまえの考えには抜け落ちている部分がある」
「聞こう」
「まず、おまえが殺され、その下手人を俺が殺す、そのすべての段取りは俺がひとりで受け持っているということだ。協力を請合った連中は、俺が刀譜の技を習得していることを知っている。たやすくやれることだと、疑ってもいないのだ。――つまり、俺の胸ひとつでどうとでもごまかせるのだ。俺が殺したといえば殺したことになる」
「やつらをあざむいて、わたしを見逃すことができるのだな」
「いかにも。しかも、やつら自身、江湖で大きな顔ができるのもそう長くはない」
「どういうことだ?」
「俺は、連中に『木家刀譜』の技のほんの一部のみを伝えた。俺が技を振るうのを見せたこともあるが、それもごく一部だ。だが、刀譜の武芸がどれほどのものか――おまえがさっき見たとおりだ。武芸者にとっては垂涎の的だろう。一部を知れば、やがてもっと知りたくなる。だがまさか、俺のもとへ弟子入りにくるわけにもゆくまい。連中は、連中の間でたがいに探りを入れだすだろう。ある幇会の一人が知る技を、別の幇会の者が盗もうとする。そいつの技を、また別のやつが――といった具合だ。技を盗もうとすれば、そいつが死ぬか相手を殺すか……ということになる。秘伝の探りあい、盗みあいのごたごたのあげく、滅びた江湖の組織が少なくないことは、おまえも知ってのとおりだ。さすがに連中のすべてが滅びるとはいわないが、大半は、『木家刀譜』の技の盗みあいで疲弊する。……頃合をみはからって、俺は真相をつげる。実は主を殺す直前で心変わりし、木清はいまだに生きていて、真の木家荘荘主である、と。まあ、数年から十年ほどは、おまえには人目をさけてもらわねばならぬが……悪い話ではないだろう。俺にとっても、何年かは確実に権力というものの旨みを味わうことができるうえ、おまえを殺せば背負うはめになったろう良心の痛みを感じずにすむ」
「なるほど」
 と、木清は頷いた。が、すぐに溜息をついた。
「だがわたしは、おまえに良心があるとは思えない。弥小五を、罪も無いのにただの道具として殺し、義心からわたしに急をつげようとしてくれた蜀どのさえも、ただおのれの企みの邪魔であるとて殺したおまえを、このさき信用する気にもなれない」
「弥小五は、おまえを生かすためなら喜んで死んだであろうし、蜀子軽は俺が手を下したわけではないぞ」
「たとえ弥小五の心を問うて、まさしくわたしのために命を差し出すとこたえてくれるにしても、おまえがそれを勝手に判断してあの男を殺したのは、あまりに身勝手ではないか。蜀子軽のことも……たしかに、おまえは手を下したわけではない。だが、嘯天幇の馬幇主に手を下させたのは、おまえの企みだ。それがおまえのいまの言い分では、罪はすべて馬幇主にあるとでもいうようだ。これが卑怯卑劣でないといえるか?」
「身勝手、卑怯、卑劣――否定はするまい。そのようなことをいちいち気にして、俺がこれまで生きてこられたと思うか? 恥を恥と思って、仇とその息子に十数年も仕えていられたと思うのか?……いずれにせよ、そんなことはどうでもいい。俺の提案、おまえは承知か、不承知か。それだけを問う」
「不承知ならば、おまえはかねての目算どおりに動くというのだな。当然、わたしの命はない」
「そういうことだ」
 一息か、二息か――二人は沈黙した。ふと、正面から見つめ合う眸がゆれたのは、何故か。
「不承知だ」
 低く、木清はいった。
「さっき、おまえが信用できないといったが、それだけの理由ではない。わたし自身の身に関わることだから素直に感嘆もできぬが、おまえ自身が恥を捨て、謀をもって一族の仇を討ったことは、おまえの忍耐と知力をも示す美談として、江湖で語りつがれてもおかしくはない。だが、おまえの目的が途中で栄華にすりかわり、しかもそのために兄弟を殺し、義士を殺して、なお目的のために手段は選ばぬというからには――それを当然として、他人にも強いるのならば、わたしは木家荘荘主の名にかけても、おまえと同じ道を歩むことを拒まねばならない。……もっとも、わたしの武功がおまえに及ばぬのは分かっているが、手向かいはしよう。せめて、数手なりとも『木家刀譜』の技を見せてくれ」
 不思議に、木清の顔には自然な笑みがうかんでいた。かえって江中雎のほうが、苦痛をおぼえたかのように表情をゆがめ、眼をそらした。
「腕はお粗末なくせ、そのようなところばかりはあの人に似ているのだな」
 いいながら、さっき飛ばした刀をひろい、木清に手渡す。
「木家荘の血は今夜ここで絶えようと、木家荘の名は辱めぬ。――おかげで、あの世で父にあわせる顔も、失わずにすみそうだ」
 こたえて、木清は受けとった。
「おまえはどうだ? いかに狡猾なおまえであっても、人であるかぎり死からは逃れられぬ。わたしを殺し、癸雎として木家荘をついで、あの世でおまえの一族に向ける顔があるか? 細かな事情はおくにしても、ともかくもおまえを引き立てて『木家刀譜』の秘密まで伝えた父にまみえることができるか? おまえを兄のように慕い、尽くしていたのに裏切られた弥小五は? おまえが『木家刀譜』を伝えたために、いずれ殺し合い、おまえより先に黄泉の人となる者たちに会うことになっても恥ずかしくはないのか?」
「恥などは捨てたといったはずだ。死ねば、それまでのこと」
 江中雎は吐き捨てると、
「さあ、手向かいするといったな。そちらからかかって来るがいい」
「刀は?」
「俺には、無用」
 木清は無言で頷いた。たしかに、その手に刀がなくとも、江中雎の技が自分を殺すのに十分足ることを、さっきの一瞬の手合わせで確信していた。
 数歩――いや、歩として数えるほどの動作ではない。氷の上を滑るかのように、木清の足先はほとんど地からはなれぬままだ。ただその身体は江中雎の周囲をじりじりと、円を描くようにめぐりだした。
 江中雎が、木清の動きを無視したように、無造作に一歩を踏み出した。不意の動きに、ぎくりとした木清がとっさにその腿をはらうが、そもそもそれを予測しての江中雎の誘いであった。刀が江中雎の腿にふれる直前、木清は手中の刀把(柄)が突如として回転したのを感じた。しかも、手にいっそうの力をこめ、同時に刀を引き戻そうとすると、とたんに刀にも木清めがけてはねあがる力が加えられたのである。凄まじい力に木清は抗えず、己にはねかえってきた刀を左肩で受けた。からくも顔は避け、ぶつかったのは刀背であったとはいえ、あまりの衝撃に木清はよろめいた。
 よろめきつつ後退し、距離をとる木清を、江中雎はあえて追わずにひややかにながめている。そして、一丈ばかりさきでもちこたえられずに片膝ついたのを見ると、
「まだ、やるか?」
 静かに訊ねた。
 木清は答えなかった。左肩から、灼熱のような痛みが胸にひろがって、喉の奥になまぐさい塊がこみあげてきている。口を開けばたちどころに血を吐きそうだった。答えるかわりに、せめて刀を構えなおそうとしたが、激痛のためにすでに全身から脳髄までもしびれて、視界も朦朧としている。刀把がしだいに掌から滑り落ちていくのだけは感覚したが、ついに掴みなおせぬまま、刀が地面にぶつかるカランと乾いた音をきいた。同時に、身体も倒れて、こらえていた吐血がどっと溢れた。
「惜しいかな、惜しいかな……」
 江中雎がつぶやき、しだいに歩み寄ってくる気配を感じつつ、木清にはそちらに首をまわすことさえかなわない。首が動かせたにせよ、視界が瞼も閉じぬのに暗くなっていくのでは見ることもかなうまいが。
 どこかで、ドン……と聞きなれぬ音が響いたが、それをいぶかる間もなく、木清の意識は落ちこんだ。

「木清……清児……」
 かすかに、懐かしさをおぼえる声が聞こえた。
 木清を、清児(せいじ)と呼ぶ者はここ十余年たえていなかった。名の下に「児」をつけた愛称で呼ぶのは目上の親しい人物に限られている。両親と叔父とをほとんど同時に失ったも同然の木清には、その後名目上ながらも荘主を継いだのもあって、そのような人物はいないはずであった。
 が、その声――若くはなさそうだが、それだけにやわらかな女の声はなおも呼んだ。
「清児――わたくしの子……」
 木清の意識が、とたんに水をあびせられたように鮮明になった。目を開くと、声のとおり、女のしろい顔がのぞきこんでいる。声と同様、見覚えのある顔だ。
「――母上」
 思わず呼び返し、跳ね起きかけたが、とたんに左肩に激痛がはしって、ごぼりと血を吐いた。
「動かないで」
 と、木夫人は制した。その背のうしろに、江中雎がぴくりとも動かず倒れている。ばかりか、うつ伏した胸元から、地面に黒々とした血だまりがひろがっているようだ。木清の視線をたどった木夫人が、ふるえる息をついて、
「殺すつもりはありませんでした。あなたの聞いたとおり、心根は変わってしまってもわたくしの弟でしたから――でも、あなたが殺されてしまうと思ったとたんに、狙いが狂ってしまった」
 あたりには、かすかな異臭が漂っている。木夫人が右手にとりあげてみせた鳥銃(火縄銃)から、それは流れ出しているらしかった。
 江中雎は、木夫人の撃った鳥銃に殺された。それは分かったが、木清はなおも激しい混乱におちいっている。
「母上、あなたは……たしか、木衛に……」
 身体の痛みがなくても、木清は続きを口にするのをためらったろう――目の前にいる相手が死人か否かを確かめる言葉など、とっさに発せられるものではない。だが、木夫人には通じた。
「わたくしが木衛に殺された、という話を聞いたのですね?」
「嘘だったのですか」
「……一度、わたくしはあの人を殺しかけ、あの人はわたくしを殺しかけました。ただ、おたがい、本当に殺しはしなかった。でも、あの人はわざと、そのような話を触れ回ったのです」
「何故……?」
 木夫人は、倒れている江中雎に眼をやり、嘆息した。
「弟とわたくしが、木家荘に滅ぼされた凌風堂・江家の人間だということは聞きましたね? 聞いたはずです、わたくしは、あなたがここへ来たときから、ずっと見ていましたから。――弟の話は、たしかに大半は事実です。けれど……清児、いまから話すことを、どうか心を静めて聞いて」
 木清の心はとうに乱れきっているが、木夫人が母親として身を案じてくれているのはわかったから、どうにか肯首して、応えた。
「……さっきあなたが江中雎から聞いた真相は、間違っているわけではない。わたくしはたしかに江家の女で、木衛――あの人も、たしかにその兄と折り合いが悪かった。けれど、最初から殺したいほど憎んでいたわけではない。だから、わたくしが唆してあの人に兄を殺させたのも嘘ではありません。そして――木軍を殺し、二人で逃げて数年、あの人はわたくしの出自を疑いだしました。何がきっかけとなったのかは、わたくしには分かりません。あの人は、わたくしよりはるかに頭が回りましたから。ただ、あの人が疑いを確信に変える前に、わたくしはあの人を殺そうとした。わたくしが江家の女と気づけば、あの人はわたくしを殺し、木家荘の内部にも残党がいないか、たしかめるのにとって返すでしょう。……あの人は武芸はともかく、木家の血をひくこと自体は誇りに思っていたのですから。でも、そうすると弟の存在も気付かれる。防ぐには、こちらが先にあの人を殺すしかなかった」
「…………」
「けれど、わたくしは失敗した。わたくしが殺しかけたことで、あの人はわたしが仇の一族であることを確信したけれど、あの人も、わたくしを殺し損ねた。そして、たぶんその日から、わたくしたちは真に理解しあい、愛し合うようになった」
 唐突に、木清の胸に怒りの感情がわいた。
「よくも、……父上を殺したあげく、よくも、そんなことを」
 身動きしたのを、木夫人はやわらかにおしとどめた。
「おねがい、最後まできいて。――わたくしたちは、殺しあうところだったその夜に、かえって互いのすべてをうちあけた。そのときに、あの人が提案したの。わたくしを、死んだことにしようかと。理由は、いくつかあった。……まず、あの人はわたくしの出自と同時に、もうひとつ別のことも疑っていた。『木家刀譜』が、何者かに盗まれたのではないかと。わたくしたちが木家荘を逃げて、その悪評は江湖のどこでも囁かれていたけれど、その話のなかで、『木家刀譜』はあの人が盗んだことになっていた。けれどあの人は盗んでいないのだから、真犯人が別にいると考えたのは当然のことで、いろいろ考えたあげく、あの人は癸雎――わたくしの弟が一番あやしいと思った。わたくしもそのときにはすべてを話していたから、否定はしなかった。けれど、確証はなかったし、わたくしの身内のことだし、仇とはいえ先に江家を滅ぼしたのは木家というのもあって、その件に関しては何ら行動はおこさなかった」
 ……鳥銃の音は、英雄宴の客が泊まっているあたりまでは届かなかったのか。音は届いても、出所をつきとめることができなかったのか。誰ひとりとして見に来る者はない。
 木夫人はさらに語る。
「そして、これは最初の理由とも関係があるのだけれど――あの人は、あなたに討たれるつもりでした」
 木清は思わず目を瞠って、母親の顔を見つめた。木夫人はうなづいた。
「あの人は、あなたに討たれようと考え、その意志でもって、討たれたのです。――木家荘の名誉をまもるために。……弟がつけた尾ひれもあって、江湖での木家荘の名声は失墜しました。あなたが仇討ちを誓い、弟がそれを吹聴したおかげで多少は快復したけれど、あまりに長く逃げつづければそれも再び失われる。しかも、あの人がまったく関係ないところで別の人間に殺されても、木家荘は一族の恥を一族で雪げなかったということになる。だからこそ、あの人は名を変えて木家荘とはあまり関係のない地を巡り、邪魔の入らぬところであなたに討たれようとした。あの人を知っている者が追えるように、講釈師として、顔だけは人前にさらしながら。――弟が、『木家刀譜』の技で嘯天幇を買収していたのは予想外でした。あの人にとってはさいわいにも、あなたが直接手を下す形にはなったけれど――」
 木夫人の声はここで激しくわなないた。顔色さえも血の気をうしなって、なんともいえぬ眼で木清を見つめて、
「でも、あなたにとっては……」
「どういう、ことです?」
 木清の問いに、夫人は答えなかった。話を戻して、
「……直接、というこだわりは、もちろんあの十五手にも関係があります。直接手を交えればこそ、あの十五手をあなたは見ることができたし、その謎も解けた。ただ、万一失敗したときのため、あるいはあなたが謎を解けぬまま、いまひとつ胸の内の測れぬわたくしの弟にだしぬかれようとしているときのため、わたくしが陰から見守れるように――死んだと偽ったほうがよい、と、あの人は考えていたのです。そのために、これだけは木軍にも勝る軽功を、わたくしに教えてくれました。わたくしは、木家荘の、いまは誰も使っていないかつての自分の部屋で、あなたと弟を見ていたのです」
 ようやく、木清は母がまさにこの場面で出現した理由に納得した。ただ、まだ分からぬことがある。
「母上は、一度はわたしを置いて木衛とともに行方をくらました。木衛が、木家荘の名のためにわたしに討たれることを望んだ、それはともかく、江家のために父上まで殺したも同然の母上が、なぜ今更、その血をひくわたしのために動くのです? 木衛の言葉にさえ従っていればそれでご満足なのですか」
 木清自身、思いもかけぬことまでが口をついて出た。だが、嘘ではない。
 木夫人はますます蒼白になっている。やがて、力ない声が、やはり蒼ざめた唇からもれた。
「あの人と木家荘を出た当時は、あの人のことを愛しているわけではなかった。江家の仇を討つためにあの人を利用し、木軍を殺せば、あと自分はどうなってもかまわないと思っていた。だから、その木軍との子とはいえ、あなたまで巻き込むには忍びなかったの。一緒に連れて逃げれば、わたくしの正体がばれたとき、あなたまで殺されかねないもの。それならまだしも、弟のいる木家荘に残したほうが安全だと思ったわ。……ただ、当時、わたくしの知らなかった真相が、もうひとつあったの。あの人が、わたくしが陰からあなたを守れるようにはからった、最後の理由でもある」
「まだ、何か?」
「弟から、木軍とわたくしの関係は聞いたでしょう。木軍がわたくしと関係をもったのは、婚礼のあったその夜だけだった、と。――それが、そもそも勘違いだった。木軍はあの日、酔いつぶれて自分の寝室に運ばれていった。わたくしの寝室にきたのはあの人――木衛だった。月のない夜で、わたくしはひとつだけ灯を点していたのだけれど、それは寝室の扉が開くと同時に消されてしまった。扉の外――回廊に吊るされた灯はあったけれど、逆光のうえ、花嫁の赤い薄絹をかぶったままのわたくしには、入ってきた人の顔なんて見えなかったの。あとで、あの人はいった。あのころから、わたくしを好きだったと――だから、木軍が酔いつぶれたのを見て、悪い気を起こした。寝室に送ったついでに、花婿の赤い上衣を拝借して、わたくしの寝室に入った……と」
「母上……まさか」
「本当の話です。あなたの父は木軍ではないの」
「――いまさら、なにをおっしゃるんです。だとしたら、わたしは……わたしは、自分の父親を……」
「それが、あの人の意志だった。それに、あの人はかならずしも、あなたに父として認めてもらうことが望みではなかった。最初から、木軍とではなくあの人と一緒になっていれば良かったと――二人で悔やんだことはあるけれど、いまさら真相を世に広めることはできない。だから、あなたには、木軍の息子としてでもいい、堂々たる木家荘荘主、人から後ろ指をさされない存在となってほしいと、ただそれだけを願っていた。わたくしには、妻として、母として、表沙汰にはできないけれどたしかに存在する一家の、たった一人の息子を見守らせようとしてくれた」
 木夫人の身体が、ぐらりと前のめりになった。ほとんど木清の身体に覆い被さるようになった、その口から鮮血があふれた。
「うらぎり、もの……」
 夫人の背後に、死んだとしか思われなかった江中雎が立ち上がって、血塗れの刀を振りかぶっていた。木清の刀である。が、『木家刀譜』の技があるとはいえ、立っているのが不思議な重傷、現にゆらゆらと定まらぬ足元で、そう速い刀がふるえるはずもない。いつの間に夫人を刺したものか。
 身体とはうらはらに、木清の脳髄は火花のごとく閃いた。失神している間に、何がおきたか。木夫人が鳥銃で江中雎を撃った、それはたしかだが、江中雎は目の前に立っているくらいだから、即死ではなかったのである。ただし、一度倒れはしたかもしれない。そして、倒れた我が子のもとへ一刻もはやく……と、木夫人が気もそぞろに走りよったところでわずかに覚醒した。はたして己の姉と、瞬間的に見抜いたものか、どうか――とにかく、そのとき江中雎は木清の刀で夫人の背を刺したものに相違ない。刺して、江中雎は再び倒れた。夫人は、自分の傷が深いことを知った。だが刀を抜けば失血する。木清に語りたいことも語れぬから、抜かぬままにこれまで話しつづけていたのである。
 倒れた江中雎のほうは、しかしまたしても覚醒して、いつごろからか姉の話を聞いていた。そして、夫人が江家の恨みをわすれて、木衛との子をあくまで守ろうとしたことに怒って、その背の刀を抜いたのだ――
「たしかに、わたくしは江家を裏切った」
 蝋のような顔色で、木夫人はつぶやいた。
「仇の一族であるあの人に、心から惹かれてしまった――しかも、その子である清児をあなたに殺されまいとして……わざとではないにしろ、あなたを撃った。江家の、唯一生き延びた男児を――」
 江中雎が、振りかぶった刀を地に下ろした。戦意も殺意も、表情からは消えていないが、支える力も、狙いを定める力も、もはや残っていなかったのだ。地に下ろした刀を、江中雎は払いすてた。天をあおいで、力ない笑いをふりしぼる。
「殺されて当然だ、俺も江家の裏切り者――しかも、人の情どころか、富貴と権力に眼がくらんだのだ……」
 笑い声が、絶叫になった。よくもと思われる勢いで右手が顔面にあがったかと思うと、眼の位置からぱあっと血色の飛沫が散った。みずから両の目を抉り取ったのである。
 木清も、木夫人も、あまりの酸鼻さに声もない。その前で、江中雎は痛みなど感じぬかのように笑いつづける。
「江家最後の二人がこれだ、最初から木軍に殺されていたほうがすっきりしたものを……」
 身体をゆらして歩いていくさきは、江中雎が弥小五を投げ込んだ池である。
「血を裏切り――辛苦をかさねて……それでも手にいれようとしたものが、手に入る前にあの世行きとは……木清、俺はおまえを殺しそこねた。俺は先に逝く……死にそこねたからには、しっかり生きるがいい――江家の子孫でも木家の子孫でもありながら、同時に双方を仇とし、……しかも、恨むべき者からさえ、とりのこされて。さぞや、愉しかろう……可笑しい、まったく、可笑しい……」
 どぼん、という水音とともに、声はとぎれた。
 やがて、
「やはり江家を裏切ったのでも、わたくしは弟より幸せかもしれない……」
 かすかな声で、木夫人がいった。
「あの人と、わたくしの子を、ちゃんと残してゆけるのだから」
「母上――傷が」
 身体さえ動けば、助からぬと承知しながらも、木清は夫人の出血を止めるために動いただろう。だが、話していてさえ激痛がはしる上、その夫人が身体に覆いかぶさっているのだ。
 木夫人は首をふった。
「わたくしはもうすぐ、弟と同じところへ行く――お願い、わたくしを埋葬するとき、顔をしっかり布で包んで。江家の一族に、裏切り者の顔を見せずにすむように……きっと、弟も、口では不遜なことをいっていたけれど、誰も見なくてすむようにああしたのでしょう――」
 木清が答えかねている間に、木夫人の声はますます小さくなった。土気色になった唇が、わずかに笑んで、
「あなたは、しっかり生きて――木家の人間としてでも、江家の人間としてでもいい。……わたくしが死んだら、すべての因縁は終わったと思って……あなたは、悪くないのだから、しっかり……生きる、の……」
 やがて、声はとぎれた。
 木清は泣くもならず、怒るもならず、呆然たる心地で眼を閉じた。このまま、また気をうしなって、起きればすべてが夢となっていてほしかった。いや、二度と目覚めぬほうが、いっそ幸福であるかもしれなかった。

 どれほど、そうしていただろう。眼を閉じながらにして、木清は己の意識が鮮明になってゆくのを感じ、肩の痛みさえ次第におちついて、呼吸も楽になってゆくのを覚えた。が、身体とはうらはらに混乱はいっそう甚だしく、心は麻の如く乱れるばかりで、いったいこれからどう動くべきかも判断がつかない。
 突然、庭の入口で叫び声があがった。江中雎が弥小五を引きずった痕を、誰かが見とがめたらしいが、続いた会話は意外なものであった。
「先客がいるらしいな」
「気にするなら場所を変えよう」
「おまえはどうだ」
「どういう意味だ?」
 どうやら男が二人――最後の問いに、答える声はなかった。ただし、その声色から、木清は二人がたがいに疑心暗鬼となって、いまにも相手の伏兵が物陰から姿を現すのではないかと気を張っていることを知った。もちろん二人とも、人を引きずったような血色の筋の残る場所にそう長くとどまっていたいとは思うまい。それきり、声は聞こえなくなった。
 木清は安堵したが、すぐに疑問がわいた。二人とも、明らかな血の痕を見、驚きはしたものの、何事かと追及もしなかった。……この庭の外で、なにか起こっているのか?
 木清は眼を開けた。そっと身動きしてみるとまた左肩に痛みがはしったが、堪えられぬほどではない。歯を食いしばっておおいかぶさる母の身体をどけ、ゆっくりと起き直る。周囲を見回せば人影はなく、ただ空の一方がうっすらと明るかった。
 いかに時間の感覚がうすれていたとはいえ、夜が明けたのであるはずはない。第一、赤みのさしている方角は西である。――英雄宴に集った者が寝泊りしている迎賓館のある方角だ。そちらへ、事態をたしかめに急ぎかけて、木清の足はたたらを踏んだ。母親の遺体を、誰が迷い込むか知れぬこの奥庭にすておくことはできない。
 西の空の赤に、ひとすじ、ふたすじ、白い煙がたちのぼりだした。
 ここに、ながく留まっているわけにはゆかぬ。木清はせわしなく煙と遺体とに目をさまよわせた。江中雎と手をむすんでいたらしい群雄の挙動も気にかかるが、弥小五以外の当家や、家人らはどうしたか――
 木清は木夫人の髪をひと房切とって懐にいれると、袍(上着)の裾をさいてその目元をおおった。渾身の力で水のふちまで引きずっただけで全身が脂汗にまみれたが、最後に一押しして、なんとか池の中に投げ落とす。埋葬などとはいえぬのは承知だ、だが穴も掘れぬうえは、こうするしか思いつかなかったのだ。
 目を閉じ、池に拝礼してから、木清は奥庭を出た。軽功を駆使し、上体をゆらさぬようにすれば、肩の傷は鈍痛をおぼえる程度だ。足は自然に来た道すなわち弥小五の血のあとを逆にたどって、やがて江中雎が癸雎として使っていた部屋へ来た。……中に、人の気配がある。しかも、耳をこらすまでもなく話し声までもれだしてきた。
「たしかにここがあやつの部屋か」
「見ろ、昼間着ていた袍だ」
「ここがあの小賢しい癸とやらの部屋だとすれば少々厄介だ。どうやら先客があったらしいが、あやつと客と、どっちがしてやられたものか」
「あやつが勝ったならば、その腕の持ち主を追って出ていった留守に、我らがいるということになる。そろそろ戻ってくるのではないか」
「だがその腕があやつのものであれば、例のものは我らの先客の懐に入っておろう」
「あやつが勝ちなら待ち伏せ、客めが勝ったならすぐにも追わねばなるまい」
「どうする」
 いくつかの声があわただしく相談するのに、
「あやつは『木家刀譜』の武芸を得ているのだ、めったなことで負けはすまい――それに、その腕の皮膚をよく見てみろ。とくに手の甲だ。あやつの手はそんなに黒かったか?」
 年配の、落ち着いた声がいって、一同うなづいたらしい。
「なるほど。では――やつは、その腕の持ち主を始末して、今にももどって来ような」
「皆、隠れろ。姜(きょう)と殷(いん)は、入口と窓を見張れ」
 姜・殷のふたりが部屋から出てくれば、見つからぬわけがない。あやうく、木清はその場から離れた。
 いまの会話から、何が起こっているかはおおよその予測がついた。江中雎は『木家刀譜』の技の奪い合いから群雄が殺しあうのも遠からぬことといったが、その予想以上に破綻ははやく起きたのだ。あるいはそれは、群雄が一堂に会したことそのものがひきがねとなって起こったのかもしれなかった。ともかくも、迎賓館から木家荘全体へ、『木家刀譜』の武芸争奪の死闘は拡がってゆきつつある。
 木家荘の敷地はひろい。単に木家の者のすまいではなく、八人の当家やその家族らもまた敷地内に居をかまえているから当然だが、気のせいているこの場合に、木清はそのひろさを呪わしく感じた。当家らのすまう場所へたどりついたときには焦燥の汗で全身がぬれていた。
 迎賓館の火の手はその間にも勢いをまして、木清のいるあたりもうっすらと明るかったが、元来ついているはずの建物周りの灯りはない。ふだんなら灯の入っているべき提灯、掲げられているべき松明は、地にうち捨てられて炎をあげていた。数ヶ所では、すでに柱や壁に燃え移っている。このとき木清の耳にかすかな呻き声がとどいて、彼ははっと反転した。
「三当家!」
 門扉の陰に、三当家の高礼(こう・れい)が横たわって、木清をみあげている。すぐそばに、七当家の尤勝(ゆう・しょう)も倒れていたが、こちらはぴくりとも動かなかった。
「……荘主」
 聞きとりがたいが、たしかに高礼はそう呼んで、
「どうして――いまさら、戻ってこられた?」
 いうや否や、ごぼりと血を吐いた。異様に黒ずんで、妙な匂いが鼻をつく。
「毒にやられたか――解毒薬は?」
 かけよった木清に、高礼は首をふって、
「これは聖龍社の何休(か・きゅう)の毒だが……やつは『独歩剣侠』公孫秀(こうそん・しゅう)とやりあいながら、どこかへ去りました。……もはや、捜そうにも手遅れでしょう」
「――何があったのだ」
 分かっていても、訊かずにはおれなかった。
「群雄――いや、そろいもそろって、盗人根性のかたまりのような、あの連中が……」
 答えかけて、高礼は痙攣した。が、最後まで聞かずとも、木清はおのれの予測がまさに的中したことを知った。
「『木家刀譜』の技をねらって互いに争いだしたばかりか、おぬしらにまで、刀譜を出せと迫ったのだな」
 高礼が、かすかにうなづく。
「……二当家が、荘主に旧を告げんとしましたが――お部屋には、おられず……」
 さっき、「どうしていまさら戻ってこられた?」という問いを投げられたわけを木清は察した。
「たしかに、部屋を空けていたが、この混乱から逃げたわけではない――」
「……いや、いっそ、……お逃げなされ、荘主」
「おぬしを、このままにして、か? ほかの者を残して、わたしだけ逃げろと?」
「わたしは……もはや長くありませぬ。皆も……とうに余人の手にかかっておりましょう……」
「おぬしの妻は? 七当家の娘は?」
 高礼は、だまって首をふった。
「――木家荘は、……滅びます。ただ……荘主、あなたがご無事ならば……生きて、この場を脱してくださるならば――いつか、我らの仇を……」
 声が途切れ、瞳から光が消えて、木清は高礼もまた力尽きたことを知った。
「――おまえもか。おまえも、わたしに……わたしだけに、生きろというのか」
 木清の胸をまたも激しい惑乱がおそった。獣のような咆哮がひびいたのが、おのれの喉からほとばしった絶叫であることを、木清はおくれて理解した。が、それを聞きつけて誰かがここへ斬り込んでくるかもしれぬという可能性に思いいたっても、叫びを止めることはできなかった。――叫ばなければ、惑乱が五臓六腑をくつがえし、断ちわって、正気を失うようにすら感じた。
 息が続かなくなるまで叫び、それでもまだ鬱憤ははれずに、二度、三度、木清は咆哮した。声が枯れるよりはやく、江中雎にやられた傷がいたみだした。構うものか、と心では思ったが、咳と吐き気が同時にこみ上げて、木清はついに声をおさめざるをえなくなった。
 そこへ、声がかかる。
「木荘主。そこにおられたか」
 短身痩躯ながら、炯々たる眼光が相手に畏怖を抱かしめる老人が、うすい笑みをうかべて十数歩ばかり離れたところに立っている。これも宴の客のひとり、「神鷹」周通天(しゅう・つうてん)だが、ひとりではない。背後に五、六人弟子と見える者をつれていた。
 顔を向けはしたが、なおも呆然とした様子の木清に、周通天は笑みを濃くして、いたわるようにいった。
「此度は災難でございますな。……が、ほかの者はともかく、わが一門は何も木家荘に仇をなそうとは思いもよりませなんだ。ただ、ふりかかる火の粉は払わねばならぬゆえ、やむを得ずこうして夜更けにお騒がせしておる次第。――木荘主、いったいこの騒ぎの因がいずれにあるか、ご存知ですかな? すべては貴荘の大当家・癸雎どのの企みでございますぞ」
 木清の手が、刀を握りなおした。見て、周通天はからからと笑声を放った。
「さよう、木荘主におかれては、裏切り者を成敗なさるが道理。我らも、微力をお貸しいたしましょうぞ。さて、癸の大当家はいずれにおいでか――?」
 木清の足はふらふらとしながら、次第に門扉からはなれている。自然、周通天との距離は縮まったが、そこで、ようやく彼は口をきいた。
「わたしに取り入ったふりで癸雎をとらえ、『木家刀譜』の技を吐かせようとしても無駄だ。癸雎――いや、江中雎は死んだ。『木家刀譜』の技はもはや、完全な形ではこの世にない」
 周通天の顔が、凍りついた。その横面めがけて、木清の刀が払われる。衝撃をうけつつも、さすがは「神鷹」の綽名をもつ江湖の古強者というべきか、周通天はあやういところでその斬撃をかわし、しかも間髪いれぬ反撃を見舞っている。内功をめぐらせて繰り出せば鉄をも穿つ「金剛爪」が、木清の左肘へ伸びた。
 誰知らん――木清が、それを躱さぬどころか眼に入れた様子さえみせずに、周通天がわずかに身を避けた空間を一直線に疾駆してのがれようとは。周通天の手には、木清の左肘から先だけが残った。
「師父」
 弟子のひとりが、困惑の表情をふりむけて、
「あいつ――木荘主は、逃げたのですか」
「そのようじゃ」
 苦々しげに、周通天はうなづいた。
「窮地にある木家荘を見限って……木家荘主ともあろう身で?」
 なおも信じられぬかのごとく、弟子は首をふる。
「仁義も侠気もあったものではない――あの木軍、木老荘主の息子ともあろう身で、よくもそんなふるまいができたものだ!」
 数人が、軽蔑の色もあらわに失笑をもらした。別の弟子が訊いた。
「師父、追わぬのですか」
 周通天は鼻をならして、これまた侮蔑の意を示すと、吐き捨てた。
「無用であろう。『木家刀譜』の技を知らぬというのはまことのようじゃ。しかも、あのような恥知らずの青二才を相手にしてどうする? それより癸雎を捜せ。死んだというのは偽りでないともかぎらぬ、ほかの門派に先をこされては厄介じゃ」

 生きろ――生きろ――生きろ――
 疾駆する木清の耳に、ただその一語のみが呪詛のごとく鳴り響いていた。それに操られるようにして、周通天の傍らを忘我のうちに走り抜けたのである。左肘に焼けつくような痛みを感じながら、そちらを見もやらずに、木清はひたすらに軽功を駆使しつづけた。
 生きろ――生きろ――
 それは江中雎の声であり、木夫人の声であり、三当家・高礼の声であった。
 生きろ――生きろ――生きろ――!
 聞いた覚えはないのに、木軍、木衛、弥小五がくりかえす声までもが重なった。さらには、木家荘の、看取りもならなかった当家、兄弟たち、蜀子軽の声までもが。
 木清は走り続けた。どこへ向かっているわけでもないが、幻聴が、止まることを許さなかった。背後では木家荘の炎が天も焦がさんばかりだが、行く手の空は暗い。夜明けは、その気配すらもまだ訪れていないのだった。



【完】

『ある日、ニンジャ・ガールが落ちてきて。』川口健伍

 深い眠りに落ちている。そのことを俯瞰している自分がいることを三条門菅流(さんじょうもん・すがる)は知っている。一般に幽体離脱と呼ばれるらしいが、菅流はこれが夢の続きであることを知っている。羽毛布団に包まっている自分を見下ろしていると、視線の横を通過して黒い影がすとんと床に降り立つ。なんだ、と菅流は思う。身体が動き出そうとする。しかしまだ覚醒にはほど遠い。小柄なその影は腰から棒のようなものを抜いた。白刃だった。切っ先はするどく、刃紋は美しく波打っている。どうしてわかったのか――夢だからだろうと、納得しかかった時だった。
「三条門菅流、覚悟ぉ――――っ!!」
 女の子の声だった。影の輪郭がはっきりする。髪をポニーテールにした、小柄な女の子だった。
掛け声とともに女の子はまっすぐに刀を振り下ろす。ひどくゆっくりとした動きで刀身が布団に近づいていく。するりと音もなく、刀は根本まですっかり布団に吸い込まれる。
 すでに菅流は布団から跳ね起きており、勢いそのままに左足を軸に回転。遠心力を借りて振り回した右足を、少女の脇腹へと叩きこむ。
 少女が吹き飛び、壁に激突する。
 すくっと立ち上がり、そのまま二の太刀だ。どうやら自ら後ろに飛んで衝撃を逃したのだろう。露ほども効いているようには見えなかった。
 菅流は枕元にあるスイッチを押す。いくらもしないうちに御付武官たちがやってくるだろう。しかし――気勢を発して突撃してくる女の子を見やって、その時間すら稼げそうにないのは明らかだった。先ほどとは違って不意を打つことはできまい。こんなことなら真面目に玲子の特別講義を受けておけばよかった。
 白刃が閃く。
 菅流は覚悟を決める。刀が届く寸前、横っ飛びに身体を投げ出して逃げる。ただこの後は決まっている。切り返しでばっさり、だ。
 刀が枕を真っ二つにして羽毛が舞う。その時だった。場違いな音に、菅流は耳を疑った。

 ぐーきゅるるるるるる。

 少女が膝をつく。上段に構えていた刀を床に置き、お腹を抱える。ぽつりとつぶやく。
「おなかがへってうごけない」
「え?」
「おなかとせなかがくっつきそう」
「えええ!?」
「もう三日もなにも食べてないの」
 そう言って少女は、ちらちらと菅流の方を見てくる。
 まさか刺客に食料を無心されるとは――いつのまにか菅流の口元には笑みが浮かんでいる。
 そんな菅流を怪訝そうに、少女は見ている。
 不思議なのはこちらの方だよ、と菅流は笑みを深める。そこで気がつく。部屋の扉がうっすらと開き、円筒状の物体が転がり込む。枕元に隠してあったサングラスをかけ耳栓をして、菅流は言う。
「おもしろいね、君。名前は?」
 返事が聞こえるはずもないのに、そう訊いていた。
 菅流の変貌に、少女はぎょっとし、その理由を悟ったのか慌てたように部屋を見回す。すぐに目的のものに気がついたのか、少女は円筒状の物体――スタングレネードに飛びつく。その瞬間、閃光が視界を焼き尽くし、爆轟が身体にぶつかってくる。そうして菅流は少女の姿を見失った。まあいいか、後で訊けばいんだから、と菅流は布団に突っぷしながら意識を失う。部屋にどかどかと踏み込んでくる御付武官たちの振動だけが、いまの菅流が感じられる世界のすべてだ。

 テーブルには食器が並べられ、その上には出来立ての料理が載っている。用意スタートの合図で、ゲートを飛び出したドッグレースの主役たちのように、少女は獲物にかじりつき噛み砕き飲み下し食べかすが飛び散る。
 菅流はにこにこと見ている。
 少女の名前は赤羽璃瑚(あかはね・あきこ)と言った。
「ご当主……」
 隣に立つ柄澤玲子(からさわ・れいこ)筆頭御付武官が怜悧な双眸で、警備上の問題点をいくつもあげようとする。成年に満たない十七歳の菅流には多くの御付武官がいる。柄澤玲子はその内のひとりだ。玲子の小言を片手で遮り、菅流は猛烈な勢いで食事をしている璃瑚を見ている。
「おいしいかい?」
 うんおいしいいまは何を食べてもきっとおいしいもっと持ってきて、という意味のことを大量の食料の隙間から、璃瑚は言った。
 菅流はうなずき、さらに料理を持ってこさせる。自身も食事を開始する。
 食器のこすれ合う音だけが響く。そんな時間が過ぎ……、一息ついて菅流は訊ねた。
「それで、きみはなぜ私の命を狙ったのかな?」
 ひゅん、と風切り音がしてナイフとフォークが飛んでくる。
 菅流は鷹揚と構えている。
 素早く、玲子が銀色の盆で飛翔物を弾く。すぐに目線だけで指示を出す。
 同時に、部屋の隅に控えていた黒服の御付武官たちが駆け出す。璃瑚に殺到する。
 す、と静かに菅流が手を上げる。
 しかし、と玲子が声を上げる前に、菅流が言葉を続ける。
「答えてくれてもいいだろう?」
 がるる、と璃瑚は黒服たちにうなり声をかけながら、ちらと菅流を見る。にやりと笑い、口を開く。
「三条門菅流、おまえを殺しにきた」
 ぎりりと歯を鳴らし、璃瑚は吠える。
「それは知っている」
 三条門家は皇位継承権を持つ天照十六宮家において第八位を占めている。この地位を得るために先代、先々代の当主たちは政治的暗闘を繰り返してきた、ようだ。ようだ、というのは物心ついた時にはすでに菅流は当主となっており、第二位の傀儡に、宮家間のバランス取りに使われているのが現状なのだ。味方らしい味方がいない、ということは誰に狙われることもありえる、ということだ。
「おまえは仇だ」
「ほう、誰の?」
「父と母と、我が一族だ」
「君のおうちは何をやっているのかな?」
「きっ……さまっ! 使い捨てた相手は忘れたというのか!?」
「と言われてもな。赤羽家か……」
 菅流は視線を玲子に送る。玲子はうなずき、一礼して退室する。
「まぁおいおい思い出すとして――どうするかね?」
「つかさー、なんでそんな喋り方なの? 同い年でしょ?」
「え? いや、これはその、当主としての、」
「まぁいいや、ふわぁ」
 さっきまでの自分の喋り方も丸投げして璃瑚は大欠伸。とろんとした目を菅流に向ける。うつらうつらし始めて――それでも手にはナイフとフォークを握って、投擲。
 菅流はさきほどと同様に、盆でもって危なげなく弾く。玲子が退出する際、置いていったものだ。一息ついて、見れば、璃瑚はテーブルに突っ伏して寝ている。黒服たちが駆け寄ってくる。手を上げて制止し、菅流は席を立つ。
 璃瑚の隣に立ち、寝顔を見下ろす。無邪気に寝息をたてている。口をむにゃむにゃと動かし、もう食べられないよぉ、とのたまっている。これで同い年なのか。菅流にはひどく幼く見える。しかしそれでも屋敷の警備をくぐり仰せ、自分の寝込みを襲うほどの刺客なのだ。
いい気なものだな、と菅流は笑みを深くする。こんなにいい気分なのは久しぶりだった。刺客に狙われたことも初めてではなかったが、だいたいはいつも部屋に辿り着く前に、自分の目の前に存在することなく、闇から闇へと葬られているようだった。それだけ御付武官たちが優秀であるということでもあるのだが、今回はどういったわけはこんな風に食事をし、会話までできている。不思議なものだ。あれほどの憎悪と殺意を向けられながら、この刺客を――赤羽璃瑚という名の女の子を嫌いになれない自分がいるのだ。一服の清涼剤。そんな安っぽい言葉が浮かび、翻ってそれが自分の生活の空疎ぶりを決定づけるものであるということすら、いまの菅流には驚きとともに見つめることができた。形骸化した行事と三条門家の若き当主としての公務に忙殺される日々のなかで、そうあるべきと規定され、し続けてきた自分の存在がこうも簡単に揺さぶられる。この動揺を自分は楽しんでいる。ああ――そうだ、自分は退屈だったのだ。
 ゆっくりと手を伸ばし、彼女の髪に触れる。黒服たちは見て見ぬ振りをしてくれる。玲子はきっと烈火のごとく怒るだろう。
 菅流はこの出会いに感謝している自分に気がつくのだった。

 璃瑚に襲われてから数日が経った。玲子は戻ってこない。それをいいことに普段めったにわがままを言うこともない菅流が、強権を発揮していた。
 ひとつ、璃瑚を賓客としてもてなすこと。
ひとつ、璃瑚の部屋を用意すること。
 ひとつ、璃瑚を戦技の教官とすること。
 御付武官たちはこの要望を受け入れた。もちろん玲子がいないことも大きかったのだろう。しかし菅流にはわかっていた。これはパワーゲームの一部なのだ。御付武官たちは決して三条門家に対して忠義を感じている者だけではない。極力、他家の息のかかった人間を選別するよう玲子は気を配っているようだったが、ひとりではもちろん限界がある。結果、監視のための存在が入り込んでいる。菅流はそれを逆手にとった形だ。
「というわけで今日からよろしく頼む、教官」
「やるって別に言ってないんですけどー」
「報酬は三食部屋付きでもちろん現金支給だよ?」
「やりますやらせてくださいぜひとも」
「そうそう」
 そうこなくっちゃ、と菅流は笑う。

 以下、未完成のためプロット。
・数日が過ぎる。菅流は璃瑚に何度か狙われるも無事に切り抜ける。そのうち、菅流は戦技の授業を璃瑚に提案する。三食付きに璃瑚は釣られる。→ここでの技術が後半のからくりに効いてくる。アキコの戦技はひとりでは完成しない、まだ若い技術だった。そのことに菅流は気がつく。不意をついてアキコが投げナイフ。命中する。むしろ動揺するアキコ。
・さらに数日が経つ。部下の報告を受けた後、急に菅流は璃瑚を連れて、彼女の田舎=隠れ里に向かう。
・璃瑚の寂れた実家にて、からくり仕掛けを図らずともふたりが協力することで、隠されてあった祖父の日記を発見する。
・実はこの復讐劇は三代前から仕組まれていたもので、両家のどちらかが窮乏の危機に立った際に援助するためのシステムだった。
・それを知り、涙する璃瑚。
・菅流は璃瑚がこのまま里に残っても、必ず赤羽家の復興させることを、盟約を果たすことを約束する。できればうちにきて欲しいと思っている。退屈しのぎに楽しいから。菅流の初の願望の吐露に、玲子は驚く。
・しかし璃瑚はその申し出を断り、里に残ることになる。
・菅流が帰宅すると、家にはすでに璃瑚がいる。里の復興のために、住み込みで働きつつ、学校に通いつつ、嫁の座を狙うのだという。次に菅流は命とは別のものを狙われるようになるのだった!(未完)

TETSUYA 4.01 パチンコ・バイト編配布開始!

4月馬鹿ァ!? エイプリル・フール!?
ただそれだけを理由に嘘を睦言のごとく囁き合っているB☆U☆T☆Aどもよ、お前らは年度初めの1日をそんなふうにしか過ごせないのか!?
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 風の吹くまま気の向くまま、何を言うかは口先次第。聖なる夜の事実に背を向け、配ってみせますボンクラ音声。そう、俺達の名は――しりとり研究会!
 大学文芸部で知り合った俺達ボンクラ部隊は、卒業を強いられ各地に分散したが、Skypeを利用しネット上に集った。しかし、内輪で満足してるような俺達じゃあない。気分さえ乗りゃスケジュール次第でなんでもやってのける恥知らず、構成台本をグダグダにし、クリスマス気分を粉砕する、俺たちしりとり野郎Aチーム!
「俺は、最年少の津雅樹大佐。通称MasakiTSU。音声編集と絵描きの名人。俺のような古い物好きでなければ売り子さんの勘違いの相手は務まらん!」 
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「よお、お待ちどう。俺様こそ川口健伍。通称kasuka。書店員としての腕は天下一品! 頭痛? 風邪ひき? だから何?」
「正田展人。通称awacat。学生の天才だ。20代後半でも学校に通ってみせらぁ。でも公務員予備校だけはかんべんな」
 俺達は、光の当たらぬ黒歴史をあえて暴露する、頼りにならない優柔不断の、しりとり野郎Aチーム! 助けを借りたいときは、警察にでも言ってくれ。


 下記URLからダウンロードできます。ダウンロードキーワードは「shiri」です。
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『あるいは現在進行形の黒歴史5』発売!

お兄ちゃん!
8月12日発売だから絶対に買ってね!
お約束だよ?
いっぱい売れたら私の画像を載せてもいいかも。
はい、すみません、俺が悪かったです。私どもがお世話になったあわむら赤光先生の新作です。皆さんといっしょに読んで、皆さんといっしょに天使たちとの夏休みを満喫といきたいものです。

『TETSUYA3〜桔梗中隊編〜』爆誕!!

 山陰大学しりとり研究会の新刊が誕生しました。略称T3こと『TETSUYA3〜桔梗中隊編〜』です。前回の文学フリマで販売することはできませんでしたが、こちらでT2と同様にPDFにて無料配布させていただきます。掲載作品は川口健伍の変身ヒーローものに、正田展人の宇宙人侵略もの、スペシャルゲストの楊生みくず氏は楽曲の二次創作ものにチャレンジしております。本文デザインは乃木佐紀くん、表紙裏表紙デザインは津雅樹くん、奥付作成は浅羽優です。リンクは下記で、DLキーは「shiri」です。感想などはこちらのコメント欄にいただけると大変嬉しいです、お待ちしております〜。
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『TETSUYA3』近日公開!

絶賛無料配布中のTETSUYA2から幾年月。
ついにやってまいりました、TETSUYA3。
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