『ある日、ニンジャ・ガールが落ちてきて。』川口健伍

 深い眠りに落ちている。そのことを俯瞰している自分がいることを三条門菅流(さんじょうもん・すがる)は知っている。一般に幽体離脱と呼ばれるらしいが、菅流はこれが夢の続きであることを知っている。羽毛布団に包まっている自分を見下ろしていると、視線の横を通過して黒い影がすとんと床に降り立つ。なんだ、と菅流は思う。身体が動き出そうとする。しかしまだ覚醒にはほど遠い。小柄なその影は腰から棒のようなものを抜いた。白刃だった。切っ先はするどく、刃紋は美しく波打っている。どうしてわかったのか――夢だからだろうと、納得しかかった時だった。
「三条門菅流、覚悟ぉ――――っ!!」
 女の子の声だった。影の輪郭がはっきりする。髪をポニーテールにした、小柄な女の子だった。
掛け声とともに女の子はまっすぐに刀を振り下ろす。ひどくゆっくりとした動きで刀身が布団に近づいていく。するりと音もなく、刀は根本まですっかり布団に吸い込まれる。
 すでに菅流は布団から跳ね起きており、勢いそのままに左足を軸に回転。遠心力を借りて振り回した右足を、少女の脇腹へと叩きこむ。
 少女が吹き飛び、壁に激突する。
 すくっと立ち上がり、そのまま二の太刀だ。どうやら自ら後ろに飛んで衝撃を逃したのだろう。露ほども効いているようには見えなかった。
 菅流は枕元にあるスイッチを押す。いくらもしないうちに御付武官たちがやってくるだろう。しかし――気勢を発して突撃してくる女の子を見やって、その時間すら稼げそうにないのは明らかだった。先ほどとは違って不意を打つことはできまい。こんなことなら真面目に玲子の特別講義を受けておけばよかった。
 白刃が閃く。
 菅流は覚悟を決める。刀が届く寸前、横っ飛びに身体を投げ出して逃げる。ただこの後は決まっている。切り返しでばっさり、だ。
 刀が枕を真っ二つにして羽毛が舞う。その時だった。場違いな音に、菅流は耳を疑った。

 ぐーきゅるるるるるる。

 少女が膝をつく。上段に構えていた刀を床に置き、お腹を抱える。ぽつりとつぶやく。
「おなかがへってうごけない」
「え?」
「おなかとせなかがくっつきそう」
「えええ!?」
「もう三日もなにも食べてないの」
 そう言って少女は、ちらちらと菅流の方を見てくる。
 まさか刺客に食料を無心されるとは――いつのまにか菅流の口元には笑みが浮かんでいる。
 そんな菅流を怪訝そうに、少女は見ている。
 不思議なのはこちらの方だよ、と菅流は笑みを深める。そこで気がつく。部屋の扉がうっすらと開き、円筒状の物体が転がり込む。枕元に隠してあったサングラスをかけ耳栓をして、菅流は言う。
「おもしろいね、君。名前は?」
 返事が聞こえるはずもないのに、そう訊いていた。
 菅流の変貌に、少女はぎょっとし、その理由を悟ったのか慌てたように部屋を見回す。すぐに目的のものに気がついたのか、少女は円筒状の物体――スタングレネードに飛びつく。その瞬間、閃光が視界を焼き尽くし、爆轟が身体にぶつかってくる。そうして菅流は少女の姿を見失った。まあいいか、後で訊けばいんだから、と菅流は布団に突っぷしながら意識を失う。部屋にどかどかと踏み込んでくる御付武官たちの振動だけが、いまの菅流が感じられる世界のすべてだ。

 テーブルには食器が並べられ、その上には出来立ての料理が載っている。用意スタートの合図で、ゲートを飛び出したドッグレースの主役たちのように、少女は獲物にかじりつき噛み砕き飲み下し食べかすが飛び散る。
 菅流はにこにこと見ている。
 少女の名前は赤羽璃瑚(あかはね・あきこ)と言った。
「ご当主……」
 隣に立つ柄澤玲子(からさわ・れいこ)筆頭御付武官が怜悧な双眸で、警備上の問題点をいくつもあげようとする。成年に満たない十七歳の菅流には多くの御付武官がいる。柄澤玲子はその内のひとりだ。玲子の小言を片手で遮り、菅流は猛烈な勢いで食事をしている璃瑚を見ている。
「おいしいかい?」
 うんおいしいいまは何を食べてもきっとおいしいもっと持ってきて、という意味のことを大量の食料の隙間から、璃瑚は言った。
 菅流はうなずき、さらに料理を持ってこさせる。自身も食事を開始する。
 食器のこすれ合う音だけが響く。そんな時間が過ぎ……、一息ついて菅流は訊ねた。
「それで、きみはなぜ私の命を狙ったのかな?」
 ひゅん、と風切り音がしてナイフとフォークが飛んでくる。
 菅流は鷹揚と構えている。
 素早く、玲子が銀色の盆で飛翔物を弾く。すぐに目線だけで指示を出す。
 同時に、部屋の隅に控えていた黒服の御付武官たちが駆け出す。璃瑚に殺到する。
 す、と静かに菅流が手を上げる。
 しかし、と玲子が声を上げる前に、菅流が言葉を続ける。
「答えてくれてもいいだろう?」
 がるる、と璃瑚は黒服たちにうなり声をかけながら、ちらと菅流を見る。にやりと笑い、口を開く。
「三条門菅流、おまえを殺しにきた」
 ぎりりと歯を鳴らし、璃瑚は吠える。
「それは知っている」
 三条門家は皇位継承権を持つ天照十六宮家において第八位を占めている。この地位を得るために先代、先々代の当主たちは政治的暗闘を繰り返してきた、ようだ。ようだ、というのは物心ついた時にはすでに菅流は当主となっており、第二位の傀儡に、宮家間のバランス取りに使われているのが現状なのだ。味方らしい味方がいない、ということは誰に狙われることもありえる、ということだ。
「おまえは仇だ」
「ほう、誰の?」
「父と母と、我が一族だ」
「君のおうちは何をやっているのかな?」
「きっ……さまっ! 使い捨てた相手は忘れたというのか!?」
「と言われてもな。赤羽家か……」
 菅流は視線を玲子に送る。玲子はうなずき、一礼して退室する。
「まぁおいおい思い出すとして――どうするかね?」
「つかさー、なんでそんな喋り方なの? 同い年でしょ?」
「え? いや、これはその、当主としての、」
「まぁいいや、ふわぁ」
 さっきまでの自分の喋り方も丸投げして璃瑚は大欠伸。とろんとした目を菅流に向ける。うつらうつらし始めて――それでも手にはナイフとフォークを握って、投擲。
 菅流はさきほどと同様に、盆でもって危なげなく弾く。玲子が退出する際、置いていったものだ。一息ついて、見れば、璃瑚はテーブルに突っ伏して寝ている。黒服たちが駆け寄ってくる。手を上げて制止し、菅流は席を立つ。
 璃瑚の隣に立ち、寝顔を見下ろす。無邪気に寝息をたてている。口をむにゃむにゃと動かし、もう食べられないよぉ、とのたまっている。これで同い年なのか。菅流にはひどく幼く見える。しかしそれでも屋敷の警備をくぐり仰せ、自分の寝込みを襲うほどの刺客なのだ。
いい気なものだな、と菅流は笑みを深くする。こんなにいい気分なのは久しぶりだった。刺客に狙われたことも初めてではなかったが、だいたいはいつも部屋に辿り着く前に、自分の目の前に存在することなく、闇から闇へと葬られているようだった。それだけ御付武官たちが優秀であるということでもあるのだが、今回はどういったわけはこんな風に食事をし、会話までできている。不思議なものだ。あれほどの憎悪と殺意を向けられながら、この刺客を――赤羽璃瑚という名の女の子を嫌いになれない自分がいるのだ。一服の清涼剤。そんな安っぽい言葉が浮かび、翻ってそれが自分の生活の空疎ぶりを決定づけるものであるということすら、いまの菅流には驚きとともに見つめることができた。形骸化した行事と三条門家の若き当主としての公務に忙殺される日々のなかで、そうあるべきと規定され、し続けてきた自分の存在がこうも簡単に揺さぶられる。この動揺を自分は楽しんでいる。ああ――そうだ、自分は退屈だったのだ。
 ゆっくりと手を伸ばし、彼女の髪に触れる。黒服たちは見て見ぬ振りをしてくれる。玲子はきっと烈火のごとく怒るだろう。
 菅流はこの出会いに感謝している自分に気がつくのだった。

 璃瑚に襲われてから数日が経った。玲子は戻ってこない。それをいいことに普段めったにわがままを言うこともない菅流が、強権を発揮していた。
 ひとつ、璃瑚を賓客としてもてなすこと。
ひとつ、璃瑚の部屋を用意すること。
 ひとつ、璃瑚を戦技の教官とすること。
 御付武官たちはこの要望を受け入れた。もちろん玲子がいないことも大きかったのだろう。しかし菅流にはわかっていた。これはパワーゲームの一部なのだ。御付武官たちは決して三条門家に対して忠義を感じている者だけではない。極力、他家の息のかかった人間を選別するよう玲子は気を配っているようだったが、ひとりではもちろん限界がある。結果、監視のための存在が入り込んでいる。菅流はそれを逆手にとった形だ。
「というわけで今日からよろしく頼む、教官」
「やるって別に言ってないんですけどー」
「報酬は三食部屋付きでもちろん現金支給だよ?」
「やりますやらせてくださいぜひとも」
「そうそう」
 そうこなくっちゃ、と菅流は笑う。

 以下、未完成のためプロット。
・数日が過ぎる。菅流は璃瑚に何度か狙われるも無事に切り抜ける。そのうち、菅流は戦技の授業を璃瑚に提案する。三食付きに璃瑚は釣られる。→ここでの技術が後半のからくりに効いてくる。アキコの戦技はひとりでは完成しない、まだ若い技術だった。そのことに菅流は気がつく。不意をついてアキコが投げナイフ。命中する。むしろ動揺するアキコ。
・さらに数日が経つ。部下の報告を受けた後、急に菅流は璃瑚を連れて、彼女の田舎=隠れ里に向かう。
・璃瑚の寂れた実家にて、からくり仕掛けを図らずともふたりが協力することで、隠されてあった祖父の日記を発見する。
・実はこの復讐劇は三代前から仕組まれていたもので、両家のどちらかが窮乏の危機に立った際に援助するためのシステムだった。
・それを知り、涙する璃瑚。
・菅流は璃瑚がこのまま里に残っても、必ず赤羽家の復興させることを、盟約を果たすことを約束する。できればうちにきて欲しいと思っている。退屈しのぎに楽しいから。菅流の初の願望の吐露に、玲子は驚く。
・しかし璃瑚はその申し出を断り、里に残ることになる。
・菅流が帰宅すると、家にはすでに璃瑚がいる。里の復興のために、住み込みで働きつつ、学校に通いつつ、嫁の座を狙うのだという。次に菅流は命とは別のものを狙われるようになるのだった!(未完)