『相馬の仇討:江湖版』前編 楊生みくず

※年号のみは実在のものを使用しておりますが、人名・地名はすべて架空のものであり、万一実在のものと一致した場合もこの作品とは一切無関係であることをご了承下さい。

【真・相馬の仇討ち――表】

   一、

 木家荘(ぼくかそう)荘主の木軍(ぼく・ぐん)といえば、豊州はもとより、中原の武林(ぶりん/武芸界)において知らざる者なき大人物である。仁義に厚く、武芸に長けて、広大な土地と数多の有能な人材をかかえている。多少の嫉みそねみは避けられぬものであるから、陰で悪くいう者も皆無ではないが、表だっての誹謗中傷や、ましてや古い恨みを持ちだしての決闘沙汰などは、仕掛けたほうが己の首を締めることになる。唯一、人をして「惜しい哉」と大嘆息しめることといえば、その血をひく子が、六つになる木清(ぼく・せい)という男児一人だけであること――その前にも後にも、木軍はまさに男盛りであるにもかかわらず、夫人が身ごもることは一切なかった。
 夫人、といえば、もとは木軍が遇々にして兇賊から救ったのが縁で、身よりもないのを憐れんで側に置いたものである。が、未婚の男女のこととて、それも時が経てば女のほうの身に不名誉な噂がたつ。そこで互いに決まった相手もおらぬこと――と、一緒になった経緯があった。さらにいえば、木軍とはそういう男なのである。そういう男であるから、色恋沙汰どころか通常の男が持つ範囲での色欲にすら縁がないと見えて、夫人に二人目の子ができぬのに加えて、姨娘(妾)の一人も持たない、懇意にしている青楼の美姫もない。
 不思議なもので、木軍の血筋は決してここまで色に無欲ではなかった。木軍の父とて、夫人のほかに数人の姨娘を囲っていたのである。そして、その姨娘の一人の生んだ腹違いの弟の木衛(ぼく・えい)などは、天地に誓った夫人こそないが、風流な貴公子とて青楼での噂もたかい。
 邪険に扱われこそせぬが、弧枕を幾夜寂寞の涙で濡らしたか知れぬ木軍の夫人が、武芸はさほどでもないながら、詩歌をよくし柔情を知る木衛と通じだしたのは、建隆十四年の暮のことだ。木軍に気づいた様子はなかったが、それは本当に気づかなかったものか、あるいはわが子と木家荘の配下、さらには江湖の友人たちの手前、どう反応すべきかと迷うあまりの見てみぬふりであったのか分からない。一方で配下と友人は、早々と二人の関係に気づいて、それを隠そうともしなかった。批難と軽蔑の視線はともかく、荒っぽい連中も少なくないこととて、いつ刀槍が持ち出されてもおかしくはない。緊張に堪えかねたように、翌年三月には、二人は手に手をとって木家荘から姿をくらませていた。
 しかし、遁走はしたものの、広いようで狭いのが江湖である。二人は身分と名をいつわって山村の農家に身を隠していたが、身辺に木家荘に出入りしていた者らしき人影をちらほら見かけるようになり、また持ち出してきた金も底をついたものと思われて、大胆な行動に出た。如何なる論理で、如何なるやりとりが二人の間で交わされたかは知れず――四月六日夜、木家荘にとってかえした木衛は、寝入っていた木軍を刺殺し、こんどこそ完全に雲隠れしたのである。

   二、

 さて、江湖(こうこ)とは世間一般の謂だが、官界とは縁のない世界である。もっとも、感情面ではともかく、事件があればまったく無縁とはいかない、とくに人死が出たともなれば、お上とて捨ておくわけにもいかないから、木家荘にも県衙(けんが/県の役所)から役人が来た。
「賊は、塀を乗り越えて忍び入ったようですな」
「ええ、九爺(きゅうや/「九の旦那様」の意)は軽功がお得意でしたから」
 調べながらの言葉に頷いたのは、木軍の傍仕えで木家荘の雑務をこなしていた癸雎(き・しょ)という齢十七の少年である。もとは使用人として雇われていたのだが、利発さをかわれて荘の運営にも関わるようになり、いささかの武功さえも伝えられている。その癸雎が「九爺」と尊称する人物こそ、輩号(同姓・同世代の一族での出生順)が「九」である木軍の弟、すなわち木衛であった。
「さて、いかにも九爺は身軽でいらっしゃったが……」
 木家荘の人間はお上からも一目おかれている。役人の口調は少年癸雎に対しても丁寧であった。
「賊は覆面していたうえ、闇中でのこと。癸どのは一番に異変を察知され、賊と手を交えさえしたとのことだが、それだけで断言してはあやうい」
「賊が残していった刀は九爺のものでした」
「刀は偽造もできますぞ」
「いかにも。しかし、武芸はごまかせません。賊が使ったのはたしかに老爺(旦那様)と同じ木家刀法でした。それさえなければ、わたしも九爺ではなく、九爺を陥れようとする何者かを疑ったでしょうが……」
 そこに、事件現場の寝室を調べていた者が来て、あちらこちら、ひどくひっくり返したあとがあることを報告した。
「癸どの、物盗りの可能性もあるのではないか」
「いえ」
 きっぱりと、癸雎は首をふって、
「それで、いよいよはっきりしました。老爺の室を捜し回る物音といえば、わたしが事に気づいたのもそのおかげでしょうが……九爺が捜していたのはおそらく『木家刀譜』です。九爺であればこそ、捜さずにはおかれぬはずです」
「『木家刀譜』?」
 そこで、癸雎の語るに――木衛の武芸が木軍に大きく劣ったのは、正にその『木家刀譜』の武芸を習得していなかったためである。木軍は、才気はあるが軽薄な弟に木家刀法の真髄である『木家刀譜』の武芸を伝授するのをためらっており、
「九爺は興味のないふりをなさっていましたが、その隠し場所が知れれば、ことのついでに盗る心も起きましょう」
「ああ、そういえば木荘主の夫人と九爺は……」
 不名誉なことを口にしかけて、役人はそこで言葉を濁したが、示すところは明白だった。つまり、夫人こそが木家刀法の秘伝書『木家刀譜』の隠し場所を木衛に伝えたのではないか? ということである。癸雎は頷いたが、
「ただし、夫人が『木家刀譜』の在り処を知っていたか否かは定かならず、知ってはいても、真実を九爺に伝えたか否かも定かならず。いや、室を捜し回ったということは、少なくともはっきりとした在り処は知られていなかったのでしょう。目くらましに関係ないところも引っ繰り返した可能性も否定はできませんから、安心はできませんが。それとも、刀譜は見つけたうえで、金目のものをも攫おうとしたのかもしれません。実際盗まれたのかどうかについては、今の状況では何とも断定が難しいことではあります」
「癸どの、その『木家刀譜』は結局盗まれたのか、無事であるのか、確かめられましょうか」
「それができればよいのですが、あいにくと、隠し場所は老爺のみがご存知でした。夫人ならばあるいは聞き出していたかもしれませんから、先のような推測を並べただけなのです。心当たりの場所は、むろんこれから捜してみるつもりです」
 木家荘は広大である。一冊の武芸書を捜すのに、一日二日ではすまない。だが、『木家刀譜』を賊がさらっていったかどうかについてはともかく、その賊が木衛に違いないことはほぼ確かであった。もっとも、県衙の捕吏らが行った捜索は形ばかりのものである。木家荘は江湖の大組織、その主が殺された仇討ちに、お役所ごときが出しゃばる筋合いはない、というわけだ。知県(県知事)の久通(きゅう・つう)が、直々に、万一やむをえず捕縛するような場合には、そのあと必ず木家荘へ引き渡そうとさえ請合った。
 さて、しかし仇を討つとはいっても、殺された木軍の一子・木清はまだ六歳である。荘主の名前ばかりは継いだものの、家伝の刀法の手ほどきをうけてもおらず、第一、仇討ちの何たるかすら、理解がおぼつかない。それで、「君子の報仇は十年も遅からず」、ともかくも十五――というのは、たとえまことに『木家刀譜』が盗まれていて、その武芸の修練は不可能であったとしても、癸雎をふくめた木家荘の配下の知るかぎりの木家刀法をなんとか身につけられる年齢――までは雌伏のときということにして、以後、木清はひたすら木衛を討つために日夜をついやしたのであった。
 木清に付き合い、むしろこれを引き摺るように、武芸を身につけさせ、木衛への恨みを叩き込んだのは、ほかならぬ癸雎である。木軍の殺害を挫くことこそできなかったが、その下手人と一戦交えてこれを逐い、正体を暴いた功によって、荘主につぐ大当家(大元締め)の地位を得ていたにもかかわらず、癸雎はその権威には恬淡としていた。その一方で、葬儀の紙銭が舞うのを呆然と眺める木清に、「憶えておきなされ。仇の名は木衛である――と」と囁いたのを皮切りに、朝夕ごとにこれと並んで報仇の誓いをたて、武芸の鍛錬は木衛の姿を模した人形に対して行わせた。しかも、数年がたっても喪の印たる白い腕章を、己の黒衣の上からとらなかった。事実上、木家荘をとりしきっている癸雎がこのようであるから、当然、木家荘の配下も木衛憎しの感情を募らせて、手は出さぬまでも、各地に手の者を遣ってその動向を探った。
『木家刀譜』はついに見つからなかったが、木清は、木家荘の者が知るかぎりの刀法を身につけていた。若年であり、まだ実戦の場数も踏んでいないから、その腕は一流とまではいかないが、癸雎の影響もあってか黒衣に喪の章をつけて修練に励む姿は、江湖の好漢に「これぞ孝子よ、少年英傑よ」と親指立てての賞賛を少なからず受けたのである。
 それからさらに二年余が経って、木衛らしい風貌をもつ男が、いま仙州にある、との報をもたらしたのは、五当家(五番目の頭)の弥(び)という男である。癸雎も若いが、これはさらに若い。若いだけに、木衛討つべしの念に人一倍燃えているところがある。本来の名を何といったか――木家荘での当家としての序列が五番目であるから、皆、弥小五(び・しょうご)とか、もっと簡単に「五弟」としか呼ばない。
 すわこそ、と木家荘は沸きかえったが、さてそれが突如大挙して仙州へおしよせるわけにはゆかない。組織としての体面上、いかに向うに非があるとはいえ、一人に対してあまりに大勢でかかることが憚られたためもあるし、まず情報の真偽を探る必要があったためもある。そして、真偽を探っていることは、絶対に相手に悟られてはならない。それが他人であればともかく、木衛は残忍ながら狡猾な男、疑われていると思えば用心して、万に一つも尻尾は出さず、別人のふりではぐらかされてしまう、というのが癸雎の所見であった。かくて仙州へは木清のほか、わずかに癸雎と弥小五のみが、それも薬商人に身をやつして向かったのであった。
 弥小五の話によれば、その男は講釈師に身をやつしてはいるが、武林の者であることは間違いないという。もっとも、それは当人も否定せず、あることで重傷を負って武功の大半を失い、今は刃傷沙汰からは遠のいているのだという触れ込みらしい。もちろん木衛という名は出てこない、その男は游喜郎(ゆう・きろう)と名乗っていた。
「あること、というのが、その妻とのいざこざで、妻のほうは殺されたらしい、という話を聞きましたが、大当家はどう思われます?」
 と、弥小五。癸雎は眉をひそめて、
「いまは、そのような呼び方をするのではない。何処に耳目があるかわからぬ」
 二人は、商家の使用人の出で立ちをしている。
「はい、はい、大哥(大兄貴)」
 弥小五は呼びかけを改めて、
「しかしどうでしょう、どうでしょう、この話は」
 癸雎の顔色をうかがう。
「五弟、あまり思い込むものではない。ただ……木家荘の九爺であったのが今は講釈師とは意外だが、そのぶん姿を隠すには好都合、とは思う」
「やはり、そうでしょう。木衛はそこを計算に入れたに違いありません」
「しかも、もともと口のうまい男だった」
「ならばいよいよ、講釈師に化けるのはたやすいはずです」
「しかし思い込みは禁物だ。今から逸るな。どのみち、木衛の顔は憶えているから、実際に見れば十中八九は判る。少爺(若様)は――九年前にはまだ幼くあられたから、どうかと思うが」
「いや」
 さえぎったのは当の木清、これは呼びかけられたとおり豪商の少爺ふうの身なりをしていたが、その瞳を十余年来の恨みに燃やして、
「斬るべき者の顔は、日夜瞼にまで刻んでいる。見れば判る、判らぬはずがない」
 激しく断言した。
 ところが三人が仙州についてみれば、件の講釈師は逃げ水のごとく、今度は磐州へ向かったという。こちらの疑念に気づかれたかというと、前後の様子からしてどうも違うらしかったが、また逃げられてはたまったものではないから、三人は日に夜をついで磐州へいそいだ。ところは相馬県である。

   三

 裕福な商人らしく、その地では名高い客桟に宿をとりはしたが、もちろんゆっくり休養できる気分ではない。通り一本はさんだ酒楼(飲食店)街で、最近もと武芸者だという美丈夫が講釈をおこないだして、それが同宿の客ばかりか使用人にまで好評を博しているだけに、嫌でもその話が耳にとどくのだ。癸雎は二人をなだめて、
「まだ当人、と決まったわけではありません。しかも、当人であれば、木衛が『木家刀譜』を学んでおることにほぼ間違いはないのですぞ。万全の状態の我らが三人がかりでさえ討てるかどうか分からぬものを、旅の疲れも癒えぬうちから挑戦して、万に一つも老爺の仇が討てましょうか。わたしがその男を見て参ります。少爺は、まずは英気を養いなされ」
云うなり、ふらりと客桟を出ると件の酒楼――太白楼へ入ってしまった。講釈師を呼ぶだけあって、なかなか賑わっている。楼の中心は吹きぬけになっていて、一階に設えられた舞台は二階、三階からでも見える。癸雎が三階に席を選んだときにはそこで人形劇をやっていたが、汾酒(酒の一種)と椒炒鴨子(香辛料のきいた家鴨の炒めもの)をたのんでしばらく、その一座はひっこんで、かわりに四十前後と見える男が出てきた。
「游郎(游さま)ー!」
 近くで黄色い歓声があがって、振り向かれたとき視界に入っては――と咄嗟に顔を伏せた癸雎だが、歓声は一階と二階からもあがっている。こちらの声はそれに紛れて、游喜郎の目が癸雎に向けられることはついになかった。声援があらかた収まったところで、游喜郎は口上がわりの詩を、琵琶爪弾きつつうなりだした。
「紛紛五代乱離間 一旦雲開復見天(五代にかかる戦乱の雲、開けば再び天ぞ見る)
 草木百年新雨露 書車万里旧江山(生うる草木に新玉の露、書車連なるは経りにし山河)
 尋常巷陌陳羅綺(綺羅の衣は街にならんで)……」
 邵雍・尭夫「観盛化吟」、ということは宋朝のお題でもやるつもりなのだろう。考えながら、ようやくちらりと目を遣ると、目鼻立ちには見覚えがある。そこで、さっき歓声を上げた女をこっそり手招きして尋ねた。
「あの游喜郎とかいう者は、武芸の腕もたいしたものだそうではないか」
「ええ、ええ。けれど、そのためにひどく傷つかれたことがあるそうで、今はすっぱり武林とは縁を切ったそうですよ」
「詳しいな。有名な話なのか」
「友だちの小玲(しょうれい)が聞いた話ですわ。おかわいそうな話だけれど、游郎ってあのお顔にお声でしょう。皆、あの方のことなら少しでも事情を知りたいものだから、こぞって小玲から聞きだそうとするの。有名というほどではないけれど、今じゃ知る人ぞ知る話ですわ」
「いったい、どういう話か、うかがってもよろしいか?」
 女がこれを拒むはずがない。何のかんのといっても、結局のところその話を知っているのが自慢で仕方ないのである。そもそも承知のうえで、癸雎は聞いたのだった。はたして、
「游郎は、数年前まで夫人と一緒に江湖を渡っていて、夫人のことを、それはそれは愛していたのだとか。けれど、夫人は実は仇敵の一族で、ある日突然斬りかかってきたのですって。いきなり斬りつけられて、身を護るために游郎も抵抗したのだけれど、怪我をしたために反撃のときに手加減もできず、狙いも狂ってしまったそうなのです。夫人は即死だったけれど、游郎も大怪我した上に、信じていた人に裏切られたのがよほど心に響いたのでしょうねえ」
「それで、武林から退いたのだな」
 癸雎は頷き、たちまち席を立って太白楼を飛び出していった。
木清、いわれたとおりに心を静めて気を養う合間に、弥小五を相手どって「あちらが『鉄鎖横江』で攻めればこちらは『水向東流』で受け流す、『二郎開山』の招に対しては『暴風李花』で逃げると見せかけて、『風声鶴唳』で脇を攻める」などと口頭での技の応酬をして実戦に備えていたが、室の扉が開いてはっと振り返った。癸雎の口から一言も出ぬさきに、顔色で察して、
「やはり」
 刀をひっつかんで躍り上がる。
 そちらは止めなかった癸雎だが、弥小五もまたついて出ようとするのへは、
「おまえは待て」
 と引きとどめた。もちろん、二人に万一のことがあってもせめて木家荘に報せる用心のためである。
 太白楼の入り口まで来れば、内から漏れ出す游喜郎の声――
「中霄(なかそら)に、吉祥の雲がたなびき瑞気たちこめるとみるや、突如閃く紅の光――目の前に怪物の子どもが落っこちてきた。頭に二本の角を生やし、真っ青な顔に真紅の髪、大きな口に牙をむき……」
 つと傍に寄ってきた太白楼の若い衆が、入り口で立ち止まったまま、食い入るように講釈師を見つめる二人に話し掛けた。
「もし、お客様。ちょいと此方へ。幇主(親分)が、お話があるそうで」
「幇主?」
 聞き返す木清。
「ええ、このあたりを仕切っている嘯天幇(しょうてんほう)の、馬正(ば・せい)馬幇主ですよ。お二方は木家荘の方でございましょう? お噂はかねがね、御用向きは前荘主の仇討ちで、間違いございますまい。悪いようにはいたしませんから、さあ」
 突然のことで、木清には咄嗟に判断もつかない。ちらりと癸雎に目を遣ると、かすかに頷いてみせたようだ。そこで、
「参ろう」
 若い衆に続いてすいと入り口を離れていった。

   四

 游喜郎がさんざん歓声をあび、祝儀をあつめて太白楼を出たところで、
「游の兄弟」
 もうすっかり暗くなって、物の形も判別がつかなくなった建物の陰から、それでもぼんやり灯りの届く路上に、一人の男が現れた。見覚えのない顔ではない。江湖を渡る身として、相馬県で商売を始めるときに嘯天幇に挨拶をとおしたが、そのときにたしか見かけた、執事の石什(せき・じゅう)という男だったか。
 それが一体何の用かと訝る一瞬に、さらにいくつかの人影が両脇と前後をふさいで、
「嘯天幇に、お主の客人がある」
 というのは、来い、との意に他ならない。客というのも、穏当な手合いではなさそうだ。どうも剣呑な雰囲気ではあるが、逃げようにもこうまで囲まれては道がないし、まさか自分の素性が露見したとは思わない、嘯天幇というのも、木家荘ととくに親しい幇会ではなかったはずだから、ここで何年来になるやら知れぬ蛮勇を奮うよりはと、游喜郎はおとなしく幇主の馬正の邸へ従った。その門を潜り、庭を抜けたところで、
「游兄弟、いや、木衛――木九爺と呼ぼうか」
 小亭(あずまや)から歩み出してきた馬正が声をかけて、ようやくぎくりと血を引いたのである。
「木、とは?」
 咄嗟に空とぼけはしたが、背筋につうっと冷汗が伝った。
「講釈師のくせに木家荘の事件も知らぬとは」
 背後で石什が冷笑し、続けて、
「しかし九爺、まさかご自分の身内までお忘れではありますまい?」
 これも冷ややかながら、はるか昔に聞いた覚えのある声がいって、思わず木衛は振り向いている。
「癸雎、貴様か」
「わたしよりも、甥御へ挨拶なされよ。いや、お詫びなされ。その父を殺したことを」
 癸雎の名を口にしたときに化けの皮は剥がれているから、前後をかためる嘯天幇の配下は色めきたった。木清を急かすように、「殺せ」と叫び出す奴もいたが、木清のほうは身体も動かず声も発し得ぬ様子で、ただ両の眼を光らせて木衛を睨みつけている。それを見つめ、癸雎を睨み、木衛は何かいいかけたが、
「木衛を捉えよ」
 石什が一喝するのが早かった。続けて、
「鎖に繋いで、地下牢に放り込んでおけ。要らざることを喚いても、声が漏れぬようにするのだ」
 指示を下すかたわらで、馬正は木清に頷いている。
「木荘主、仇を捕えられましたこと、まずはめでたい。しかし、すでに日も落ちておる。相馬県にも今朝方はいられたばかりとのことで、さぞやお疲れでしょう。木衛の身柄はこちらで預かっておきます、どうか今夜はゆっくりおやすみになって、正々堂々、仇に報いるのは後日にしては」
 自らの幇会を動かして木衛を捕えながら、あたかもすべてが木清の手柄であるかのようにいい繕い、動きの取れなかった醜態も、巧みに疲れのせいにしてしまったものである。しかも、このあと牢に繋がれて一夜を過ごすことになる者と、快適な宿で休養をとる者との勝負で、正々堂々とは。もっとも、馬正のような立場の者が自らの卑怯を認めることなどは絶対にないものなのだ。

   五

 ときに、乾隆二十七年。
 仇討ちの決闘の場は、馬正の邸の一画にある練武場であった。直径およそ八丈はあろうかという巨大な円形の擂台(演武台)の周りに、当事者たる木清、癸雎、弥小五と、対する木清のほか、嘯天幇の幇主・馬正と執事の石什、くわえて周辺の江湖の名士がほとんど勢ぞろいしていた。江湖で、噂が広まるのは極めて速い。しかも、木家荘の十二年前の悲劇は知れ渡っていたから、駆けつけられる者は上から下まで、とるものもとりあえず嘯天幇に急いだ結果である。
 木清ら三人は、その全身を喪の白衣に改めて、額にも白布をまきつけていた。木衛のほうは、さすがに捕えられたときのままの游喜郎の服ではなく、もっと質素なものに着替えさせられていたが、髭もそらず、髪も乱れて、わずかばかりの地下牢暮らしでの憔悴も明らかだった。
擂台に先に上がったのは木清ら、そのあとで、まだ手枷を付けられた木衛が、嘯天幇の配下に引き立てられて上がった。
「木衛の罪は重く、江湖にその名を聞いて唾棄せぬ者はない。いま、枷に繋がれたこやつをそちらの三人で膾(なます)にしようと、非難する者はおらぬだろうが、木小荘主、あくまで決闘されるお心か」
「そのつもりです」
「後悔はなさるまいな」
「無論。ただ、力及ばず父子ともに賊の刃に斃れることになったときには、わたしの墓前に我が仇の首を供えて下さるよう、この場の皆様にお願いしたい」
 木清がはりあげた声に、好漢らが口々に承諾の応えをかえし、ようやく木衛の枷が外された。ついで刀を渡すと、嘯天幇配下の男はすばやく退いた。これで、擂台の上は決闘者四人のみとなる。だがそこで、木衛が刀も抜かぬまま、擂台をかこむ群雄に眼をめぐらすと、突然、木清に膝をおって抱拳した。
「荘主。木家荘の名声をお護りいただけたこと、木衛心より感謝いたす」
 木家荘の名声を護ったとは、観衆の揃ったなかで、仇討ちを敢えて決闘の形で行ったことに相違ない。枷に繋がれたままの木衛を斬ったところで、なるほど非難はされるまいが、木家荘の荘主は臆病者、との謗りは受けかねないのである。
「それを、おまえが云うのか」
 と、木清。
「他人の謀略に乗せられて老荘主――大哥(兄)を害したことは、悔いても悔やみきれぬ。木家荘と小荘主のことは、片時も頭を離れなんだ」
「父上を殺したのは、母上の企みとでも言いたいのか? その母上を殺したのもおまえのくせに、よくも白々しいことを」
「そう聞こえても、いたしかたはござらぬ。が、わしはあくまで心の内をありのままに述べたまで。もし、それが荘主のお気に召さぬようであれば、刃を交える前に、過去の恩縁の一切をきっぱり断つのも好しとも思う」
「では、そうしよう」
 擂台の上に、酒が運ばれた。
「これを呑めば、わしと荘主とは、叔父でも甥でもなくなる」
「そういえば、叔父・木衛には幼い頃よく世話になりました」
「そんな記憶もあるが……この盃を干したあとには、全てなかったことに」
「恩縁をきっぱり断つのなら、いうまでもありますまい」
 それぞれの盃を満たした酒を、もろともに、一息にあおって、空になった盃は地に叩きつける。

   六

 癸雎と弥小五は、もとより木衛と恩縁というべきものを持っていない。盃が砕ける音とともに、四人ほぼ同時に刀を抜き払った。数がまさる木家荘の三人が先に動こうかという見物人の予想に反して、先に足を踏み出したのは木衛である。癸雎と弥小五が左右に散開して木衛の斜め後ろに回りこみ、これを牽制しようとする。
 不意に、木衛は天をあおぎ、からからと笑声を放った。あまりの異様さに、木清が気圧されたようにじりじりと後退り、弥小五も眼を見開いたまま凍りついた。これはまずいとばかり、癸雎が一刀を薙ぎつける。まごうことなき木家刀法、「紫電劈空」だ。木衛も、笑いつづけているとも聞こえる奇怪で獰猛な雄たけびをあげて、「真君招雲」の一手を返した。
 我に返ったように、木清と弥小五も構え直す。癸雎が跳び退がって木清に場所を譲ったが、木清は『木家刀譜』の技が出るのを用心して、「細雨屑屑」、初手から守り重視の技を選んだ。木衛はつけこもうとせずに癸雎を追い、今度は「正邪回頭」の手を繰り出した。癸雎は受けはしたがよろめいて、横から飛び込んだ弥小五のおかげで、どうやら体勢を整える余裕を得る。
「長引きそうですな」
 群雄の中で呟いた男がいる。武科挙(ぶかきょ/武官登用試験)に通って六品校尉となり、数年前江湖を退いた蜀子軽(しょく・しけい)という人物、かつては「飛天剣」と呼ばれた武芸の達者だ。隣にいた石什が聞きとがめて、
「何ゆえにそう見られる?」
「木小荘主の腕はまず普通、大きな破綻はないが、勝負の駆け引きをご存知ない。先の一手など、思い切って踏み込めば腕の一本が落とせぬとも限らなかったものを、ああ消極的な手を使われるとは。慎重なのは好いにしても、それが過ぎて勝機も逃し放題だ。木衛は、見かけによらぬ残忍狡猾な性状の持ち主と聞く。なるほど刀の勢いには迷いがなく苛烈だが、技も力もこれといってとりえがない。やはり、普通。一対一ならばともかく、三人相手では容易に勝機を掴めぬだろう」
「なるほど」
 はたして、二刻(一刻は百分の一日。約十五分)たっても勝負はつかない。木清はさんざん踊らされて汗だくとなり、足元がもつれている。木衛もまた、数箇所に浅手を負って少なからず出血したために顔面蒼白、癸雎と弥小五は二人よりまだましながら、木清に堂々と仇を討たせることこそがこの決闘の目的だから、なかなか必殺の手は出せない。皆の動きがだんだんと鈍って、ただにらみ合う時間が長くなってきたのを見かねて、馬正が休みを挟むことを提案した。
 用意された日陰の席に、ぐったり座り込む木清に、癸雎らも群雄も、口々に励ましの言葉をかける。先の蜀子軽が寄ってきて、
「木荘主、あとわずかというところで、いつも押しが弱い」
 例の評をいまいちど述べた。
「それが、『木家刀譜』の技がいつ出るかと思うと、いまひとつ打ち込み難く……」
 相手が名高い「飛天剣」と知って、木清、率直に応える。刀譜の盗まれた話は、そもそもの事件とともに広まっているから、いまさら隠すこともない。群雄らの中にも、あるいは盗まれた刀譜にしるされた刀法を木衛がふるいはせぬかと、それをあてにして、得んベくば技を盗もうとこの場にたかっている奴も少なくないのだ。
「分からぬでもありませんが、しかし見たところ、木衛の刀法は荘主に比べて一日の長があるという程度。やってやれぬ相手ではない、ましてやこちらの癸どの、弥どのが隙を誘い、あるいは守りのために動かれるのなら、かならずや荘主は仇を討ち取れましょう。思い切ってやって御覧なされ」
「そのお言葉に、迷いが晴れました」
「それは重畳」
 蜀子軽は莞爾として、
「それと、もうひとつ」
「お聞かせ下さい」
「とうにお気づきかも知れぬが、木衛の刀法、手の順序に妙な癖があります。それが『木家刀譜』に関わるものなのかどうか知るべくもないが、それがしの見るところ、むしろその順序に固執して本来の実力を出し切れていないことのほうが多い。あるいは罠かもしれませんが、頭の隅にとどめておかれてもよろしいかと存ずる」
「順序とは?」
「まずは、こう……そして、こう」
 蜀子軽、己の剣を刀に見立てて実際に数手を演じる。
「『真君招雲』、『正邪回頭』、『九霄直下』……」
 木清にも癸雎らにも、いわれてみれば憶えがある。そこへ、石什がやってきて「そろそろ続きを如何か」と声をかける。ちょうど意気のあがったところで、木清らは一も二もなく頷いた。
 さて再度の勝負、たしかに木衛の振るう刀法は蜀子軽の指摘どおりの手順である。「穆然有風」の次は「家山望月」、と記憶していた木清は、そこで思い切って渾身の「狂沙万里」――「家山望月」を破る技を繰り出した。
「好し!」
 と、木衛が一笑した。次の手を読んだことへの賞賛ともとれたが、笑いつつ、木清の動きを無視した「家山望月」を振るっている。もちろん刀はあらぬ空間を斬り、木衛の左腕はまともに木清の刀にぶつかる、そのままほとんど自らの勢いでばっさり斬り落とされた。
 しめた、と木清はたたみかけようとする。しかし腕のなくなったことにも気付かぬように、依然として順序どおりの刀法を振るう木衛の異様さに寒気を覚えて、心ならずも全身が痺れたように動かなくなる。見かねて、弥小五が飛び出し、同じく技を読んで繰り出す一刀――これは、太腿を裂いた。どうやら、技を読まれているのは百も承知で木衛は刀法の順序を変えぬ気らしい。いぶかる気はあるが、ままよとばかり、今度は癸雎が見舞った一手、木衛の右腕の肘から先が、握った刀ごと宙高く飛んだ。
 ここでようやく、木衛は動きを止めたのである。己の血潮に半ば染まった顔を木清に向けて、
「『之字路難』の次の手は?」
「『洲汀落鴻』」
「好し、覚えたな」
 云うなり、木清に突っ込んだ。驚駭した木清が思わず技もなにもなく、一刀を突き出して阻もうとする。その切っ先がみごとに木衛の胸板に突き立ち、突進の勢いと身体の重みで背まで貫いた。静まり返ったのも一瞬、すぐに満場、喚声と賞賛の声に沸きかえった。十二年来の仇討ちは、成ったのである。騒ぎの中で、木清はなんとか蜀子軽をみつけて礼をのべたが、興奮のつきぬ群雄たちの中で、あっという間にはぐれてしまった。
 なにかといえば恩仇のけじめをつけたがる江湖の気風ゆえ、仇討ちそのものは珍しいものではないとはいえ、なにかのどさくさに紛れてではなく、このように場を設けての堂々たるものは江湖でも稀、以後、「相馬の仇討ち」といえば広く知られるようになった所以である。